やりたいことを見つけなさいというのは
教育する側の責任放棄が多分に含まれている気がする
子供が学校の部活を選ぶときに乗馬部でも将棋部でも
別にかまわないだろう
やりたいことをやればいい
と、一応は言える
しかしそうでばかりもない
好きか嫌いかの意味づけだけではなくて
社会的な評価とかもっと広い価値付けがあることを
教育しなければならないのだと思う
それは教育の責任である
「やりたいこと」という言葉の意味が
単に「ちょっと興味がある、好きかもしれない」という次元のものから
「自分の人生にとって意味がある、社会的な意味がある、共同体にとって求められている活動」など
幅が広い
広く社会を見て、人間を見て、また深く歴史を考察して、同時に自分自身を見つめ、
今自分は何をしたいのかと問い直せば、
真実、自分を生かし、社会に役立ち、周囲を幸福にする道が見えてくるものだろうと思う。
そこまで問い詰めないで、単に上司が苦痛とか客先と合わないとか、いやな先輩がいるとか、
そのような偶然の要素でものごとを決めていては
人生で何も達成できないだろう
やりたいことをみつけるには
相当勉強しないと見つからない
若い人にはほとんど無理だろうと思う
日曜日にやりたいことはゲームとか
その程度の次元のやりたいことしか思い浮かばない
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発想を変えて、自分にできることは何かを考え詰めていくことも有効だろうと思う
やったってできないことはできないのだ
あるいは自分よりうまくできる人はたくさんいる
そんな中で自分生きる道はどこにあるかそう考えると
そんなにたくさんの道はないようにも思われる
案外狭い道なんだよ人生は