貧困問題

貧困問題は国内問題なのか国際問題なのかと考えることでだいぶ様子が違う

国際問題と考えてみると
これまで国際的な搾取の構造に乗って儲けてきた人たちが
情勢が変わってきて儲けられなくなり
国内の搾取で「しのごう」としているので
搾取がはっきりと目に見えるようになったということなのだろう

時代が変わって搾取の対象になった人は
時代が変わる前に搾取の対象であった海外の人に同情しなかったし
現在もあまり同情はしていないらしい

報道によればブータンなどという国では
国民みんなが幸せになる秘密の方法があるらしいが
日本にはそんなものはない
幸せになるには他人から搾取して金儲けするしかないと考えている

これまでの生活水準を維持するためには
誰かから搾取するしかない

幸せのためにそんなことが必要なのだろうか
みんなが幸せになる方法はないものかと考える人もいるだろう
しかしくっきりと像を結ばない

同調圧力が強いのは確かであるが
それはみんなで不幸せになる方に向いてしまう
これも国民性というもので
認知療法でいう悲観的な認知というものだ
グラスにまだ半分水はあるのに
あと半分しかないと思ってしまう

考えてみれば
お腹いっぱい食べてさらに捨てるほどの食料があり
テレビを見れば平和な番組でバカになり
平均年齢はほぼ世界最高を維持しているがほとんど笑わないで暮らしている
問題があるとはいえ基本的にこんな幸せなことが他にあるだろうか
世界のどこの人でもいまの日本に連れてきて不幸か幸福かと聞けば
かなり幸福と答えるのではないだろうか

でもそれは
背景に50億の貧しい人たち、
さらその中の10億の最底辺の人たちを配置する「固定構造」を
私たちが先祖から受け継いだから実現していることだ

私の考える本当の意味での構造改革は
ガンジーのイメージだ
生きていくのに必要なものは何だろうかとまず考える
経済成長は必要なのか
GDPを形式的に維持するためのばらまき給付金が必要なのか
必要な食料はどれだけなのか
贅沢をしたいなら文化的に贅沢をすればいいのであって
食料や石油を浪費しないことだ
メールなんか使わないで立派な練られた文章を
毛筆である種の作品にまで高めて手紙にする、
そしてそれはそのまま文化遺産になる、
そのような贅沢をすればいいのである

たとえば古典文学を勉強して味わうなどということは誰からも搾取しないで楽しめるわけで
大変いいことだと思う

日常のすべてを文化の創造だと決めて心がければ
搾取も浪費もなくなるだろうと思うのだ

現実的でないといわれるだろうが
これから現実への通路を作る
それは意義のあることだろう
未来に向け定義のあることに生きる
これが一番贅沢である

誰をも貧困にしない贅沢を楽しもうではないか