夏のひとこま

夏の情景を書いていて検索しようと思ってうっかり検索したら

本文が消えてしまった
そのくらい消耗してうっかりしているのだろうと
また思い
消してしまった文章の最後の部分は
消耗している話だった
ーー
すき屋の牛丼は夕方6時だとサラリーマンで満員である
会社帰りの人もあり残業に備えて腹ごしらえする人あり
すき屋では誰も何も話さずただ食べている
注文する時に気軽につゆだくでとか言う人もいる
言ってみたいような気もするが何も言わないで食べるのがいいような気がして何も言わない
お店の人はベレー帽をかぶった学生さんアルバイトのような人たち
明らかに慣れない手つきで緊張している
牛丼並みと注文するとセットはいかがですかと一応聞かれるので、いや、とだけ答える
ーー
品川駅港南口の人の流れも6時頃になるとかなりの人数になる
これだけの人が(もちろん、ずっと多くの人が)オフィスで仕事をしていたのかと思う
またこれだけの人が
会社という組織の中で仕事を分割して働いているという事の現実を思う
私は仕事の上では
そうした組織的な仕事の弊害を見聞きしているわけだが
それ以上に、会社というものは、こんな商売をしようと決める部署があって、
そこから仕事が分割され、時間も分割され、それぞれが仕事をして、
それなりに評価を受けて、また人事とか総務とか、それ以外の後方部隊もあり、
それらがなんだかんだと文句をいいながら、転勤を待ちながら、それでもなんとか組織としてやり遂げて
仕事が完成して行く。
それはなんと壮観だろう。
たとえば建設業などが分かりやすいが
ソフトバンクでも電通でもソニーでもJTBでも
あれだけの人数が組織的に動いているというのは大変な事だ
それぞれの人間は必ずしも全体を把握しているのではないのだが
結果としてはなんとか結果オーライになる
これは信じがたい事だ
駅の人の流れを見ても一人一人が全体をイメージして動いているのではないけれども
自分なりに動けば全体としてはとても組織的な動きになっている
アダム・スミスとかの話は正確にはどうか知らないし
その後の科学の中で複雑系の記述の工夫もあったと思うが
それは自然の個物であって人間が意志を持ってそれぞれに動くというのともだいぶ違う
それを意思というか意志というか欲望というか
それぞれの捉え方があると思う
それが結果としてピラミッドを造ったり橋を造ったりで
信じがたい事だ
個人の工芸作品も信じがたいものがあるのだけれど
人々が集団で何事かを達成するということは実に信じがたい事だと思った
組織の原理と言うか
組織の勘所を知っている人がいて
かなめかなめにそんな人が配置されて
人の組織が動く
なんと壮大なドラマだろう
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というような内容を書こうとしたのだが
一度消えたものを再現できないし、いま書いてみても、うまく伝わらないように思う
こんな事を考えたのは港南口のかなり組織的な人の流れを眺めつつの事だった
しかしうまくいえない
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暑くてねえ
どこに行っても子どもでうるさいし
どうするかねえ
もうただ生きているだけで上等だと思うのである
息をしているだけでいいのだし
ただ夜に眠れればそれでいいではないか
ひと夏を越して秋まで生きて、それでいいではないか
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私は夏には寄席に行く
映画だと1時間半くらい暗闇の中でぐっすり眠ってしまう
プラネタリウムでぐっすり寝た記憶もあるのだが
プラネタリウムがどこにあるのかいまでは思い出せない
寄席だとあまり寝ないでもすむ
しかも半日くらい冷房の効いた場所でゆっくりできる
お尻が痛くなるくらい座っていられる
実際にお尻が痛くなったら席を移動できるし
畳の席に移ってもいい
冷房の風とどのくらいの位置にするかを自分で決める事が出来る
最初は未だ上手でない人でだんだん上手な人が出てくるのもなかなかいい構成だと思う
終わった後には体が冷房でかなり冷えているので
外を歩いて天ぷら屋とかトンカツ屋とか落語の帰りにちょうどいいようなお店で食べるわけだ
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テレビで京都の山で赤枯れが起こっていると報道していた
樹が夏なのに赤く枯れて紅葉みたいに見えるのだという
暑すぎて起こるらしいが
学者先生によると虫とか微生物とか関係しているらしい
京都の山が真夏なのに部分的に赤くなってしまったなんて
もう信じられない2010年の夏である