夫婦または恋人の観念について

とても対他配慮の行き届いた男性がいたとします
その人の妻や恋人は、とりあえずは、その男性の細やかな対他配慮を享受できるわけです。

しかしそのあとが問題。
夫婦や恋人は共同して同じ態度で世界や他人に対するべきでしょうか。
もしそうであるなら、その女性も、その男性と同じだけの対他配慮を身につけなければなりません。
もしそうでないなら、それぞれの態度で世界や他人に接してかまわないわけです。

おおむね、男性は、自分の態度や考えが標準となり、
妻、恋人、子どもなどに、同じことを要求することがあります。

それは自然であるとも言えるし、
控えめにすべきこととも言えます。

お宅ではいかがですか?

世界や他人に対する態度といえば大げさのようですが
たとえば室温の設定とか
扇風機の程度とか
テレビの音の大きさとか
部屋の明るさとか
我慢できる匂いと我慢できない匂いとか
いびきとか歯ぎしりとか
いろいろな妥協点があります。

最近の人は妥協する必要を認めないので
それぞれの個室で快適に暮らそうとします。
食事も、それぞれが好きなものを好きなときに食べる傾向もあります。

しかしそのことで失われているものは何だろうかと
議論があります。

いろいろな夫婦があっていいわけで
月に一回だけレストランで会食する夫婦もいいでしょうし
24時間一緒にいて自宅で商売や農業をしている夫婦もいいでしょう
この二つの場合、夫婦であることの共通点というか、定義は何でしょうか。

民法や判例では
同居を拒む
生活費をいれない
家事をしない
育児をしない
浮気
暴力・暴言
性生活の不一致
精神病
刑務所に服役
などが夫婦でいられない要素となるようです

私たちは夫婦だとお互いにいうならば夫婦であるわけですが、
一方がそれを嫌悪した場合、
その嫌悪は正当かどうかを、
社会の規範として、ひいては法的に決めなければなりません。
一つには養育権、養育費、財産権の問題があるからですが。

ここで究極的にプライベートな問題が
突然公的で社会的な問題になってしまいます。

自分と同じ程度の思いやりがないなら夫婦とは思えないのだと
男性が言ったとしたらどうでしょうか。

いやなものはいやだと言ったらどうなるのでしょう。

一方では社会の安定を保持するという要請もあります。

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定年退職して
そのあとなぜ夫婦でいるのか、理由が見つからないのだという夫婦もいるわけです。
夫には理由があるのですが、妻にはないという場合が多い。
どうしましょう?