子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、
子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ
先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ。」
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人間関係は水平関係だけでうまく行くものではない。それなりに上下の関係はきちんとした方がいい。乱れたこの世でせめて経験者や年長者を大切にしたいものだ。
学問をしてますます頑固になるものがいて、問題がある。学問をしてますます謙虚になるのでなければ、学問の意味がない。
忠義と信義を貫くのでなければ学問の意味が無い。
友人を選ぶことは第一に大切なことで、自己形成の第一歩である。
友人を選ぶことは第一に大切なことで、自己形成の第一歩である。
朱に交われば赤くなる。
間違ったことをしたと気がついたら、ためらうことなく、改めるのがよい。改めないものが何と多いことだろう。
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孔子の時代には現代とは違い地域により、知識、習慣、習俗などにかなりの違いが見られたものだろうと思う
多分、言葉さえうまく通じなかっただろう
現代の日本でも方言は他の地域には通じないものがたくさんある
そのような状況で、どのようにして臣下の礼を納得させるか、難しい話だっただろうと思う
その点では学問は、自己陶冶の意味よりも統治技術のひとつだったのだろう
戦争とか人殺しは分かりやすい共通言語だし
稲作による作物なども分かりやすい共通言語である
偉い人に尊敬の念を示すというのも共通言語であるが
誰が偉い人であるのか良く分からない
結果としてでっかい宝石をつけているような人間に頭を下げておけばいいということになる
現代人も結構じゃらじゃらつけて歩いているので似たようなものだが
昔よりは宝飾品に頼らずに人品を判定できる