谷川俊太郎から引用 2

私は彼の音楽を愛した。わたしは彼の音楽を通して、ベートーヴェンその人をも愛した。感傷ではなく、私はそれを信じている。

私は彼の音楽を、芸術としてというよりは、むしろ私の愛する人間の私への親しい言葉、やさしい身振りのように受け取っている。
心挫けた時、私は一人の親しい友人に会うように、またそれ以上に、愛する者に慰めとはげましを求めるようにベートーヴェンに会う。
わたしはベートーヴェンを愛し得たことを幸せだと思う。ひとつの芸術作品を愛することさえ、たやすいことではない。まして、その作品を通して一人の人間を発見し、その人を愛することが出来るというのは稀な幸運なのだ。
それはひとつの運命的な出会いのように私には思える。
ひとつの作品をいくら理解し得たとしても、私たちとその作品とのむすびつきはしれている。本当のむすびつきは、理解という言葉を超えたひとつの共感、おそらく時には愛とさえ呼ぶことの出来るひとつの肉体的な感動に始まるのではなかろうか。その時、芸術もまた本当の芸術として私たちの中に生きる。

彼の偉大さは、彼の不幸の大きさによるのではない。むしろ彼が己の不幸を感じとるその度合いにあると云っていい。彼は不幸さえ偉大にものにすることが出来た。
誰にでもある不幸を、彼は人間の存在そのものの不幸の象徴として感じとった。

モーツァルトは小鳥のように歌った。ベートーヴェンは人間として、あくまで人間として歌った。
彼の悲しみ、苦しみ、喜びそれらはすべてあまりにも人間的なものだ。
彼は初めて音楽を本当の意味で人間的なものにした。
われわれはバッハの音楽を聞いても、その生涯には興味を持たない。バッハの音楽に彼の生は無いからだ。ベートーヴェンの音楽は、まるで彼の生そのもののようだ。