自分は絶対何も生み出さないし何も思いつかないぞと
心に決めているような人もいて
それはそれでひとつの主義なのだろうと
最近は思っている
消費主義者というのか
最初はやっぱりびっくりするわけです
私なんかは古い世代なので
何かを生み出すとか発見するとか
生産することで社会参加するとか
そんな気分があるわけなんです
「君たちはどう生きるか」的な岩波書店的な気分ですね
何か世の中のためにとか
人類のためにとか
そんなことを使命の一部とかというように教育されてきたわけです
しかしその人達はそんな青いことは卒業しているんですね
だって財産もあるし友達もいるし
これ以上は特になにも欲しくはない
むしろ何か言えば必ず誰からか上げ足を取られるし
頑張って何かしてもたかが知れているし
リスクを取らないでいたほうがいい
やれば何でもできそうだけれど敢えてやらないという態度に落ち着いて
そのかわり他人の言い分については存分に批評するし
他人の料理については点数つけまくりだし
自分は批評される位置には決して存在しないように気をつけておいて
他人のことはタップリと批評する
これってたちが悪いですよ
リスクにみあったベネフィトはすでに得られない世の中なのだと
世界状況の変化を読み切っているわけなんですね
自分は社会の中で「消費する専門家」なのだと決めているわけです
日米中インドなんかのポジションを考えて
さらにその中の富裕層のポジションとしてはそうなるらしい
自然界の食物連鎖みたいに
人間社会では誰が生産して誰が消費するというその連鎖はあるわけでしょう
お金が欲しい人が生産して
お金を持っている人がそれを消費する
だからそれでいいでしょうというわけ
え、でも、消費者になるには最初にお金を稼がなくっちゃと思うでしょ?
そうじゃないの、
最初からあるんだから、構わないの
そんなの不公平だと思うでしょ?
それは原理的に不公平だし
徐々にそんな社会は訂正していけばいいけれど
それは後々の話で
とりあえず自分はお金持ちで死ぬまで働かなくてもいいんだから
そのことを前提にして人生を組み立ててもいいじゃないというわけ
そこまで居直られたらもう何も言えません
現実そうなんだし
法律はそれを保護しているし
あとは物の考え方とか倫理観とかだけなんだけど
徹底的に消費主義書なんだし
そんな人達はもちろん働くなんてしません
消費活動で忙しいんだからそんな暇はない
働いている形にはなっていても
名前を貸して在籍してあげているだけです
そのことだけでまたお金が増えるんだし
その増え方は貧しい人が汗を流すよりずっといい増え方をする
ふざけきった話なんだ
まともに働いているのがバカバカしくなるような話なんだけど
祖父や父の世代がまともに働いてきた結果がこれなんだ
おじいちゃんが蓄えてくれたものを私が使って何かいけないことがありますかと居直っているわけで
全く正しい居直りなんです
日本はこのまま没落するんじゃないかと言っても
そうなったらアメリカでもヨーロッパでも友達はいるから困らないという
あなたは困らなくてもみんなはどうすればいいのかと言えば
そこまでは知らないし面倒見られないしそれぞれの考えだからなどという