今夜のお楽しみ 菊地成孔

今夜は以前から予約していた
菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの
コンサート。

スペイン語で「伊達男/拷問/甘く、砂糖漬けの」を意味するペペトルメントアスカラール

場所は九段会館。
昔軍人会館と呼んでいたのだと友人から聞いたことがある。
知人がここで結婚式を挙げている。
大変なところでやるもんだと感心したことを思い出す。

電車でトラブル。
品川から都営浅草線に乗ったら、
泉岳寺で妙に長い停車。
そのうち車内放送に業務連絡のようなものが流れ始めた。
あきらかにおかしいなと思っていたら、
アナウンス。
京成線で架線事故があり、全駅で遅れているとのこと。
仕方ないので三田で都営三田線に乗り変えて
さらに東西線に乗り九段下に到着。
7時開演の5分前だった。

九段会館の
とてもしっかりした作りに驚く。
階段の手すりは総大理石だ。
こんなものを作っている間に東北の娘たちは泣いていたのだと
いつもの想念が頭をよぎる。

会場は7割から8割埋まっていた。
女性層が多い。商売はここを狙うことだな。
男性もファッショナブルな感じの人が多い。
羽のついたシルクハットをかぶっていたり。

ショーが始まると、
現代音楽ふうでバルトークかと思うくらい。
しかも光線が玄人っぽい。。

銚子の菊地食堂の隣の銚子ストリップ劇場の光線。
サックスの響きはいいね。
もうたったの一秒で踊り子さんがいないだけの船乗りさんストリップ劇場。

爽やかに通り過ぎる音楽ではない。
ねちねちといつまでもからみつく、しつこい音楽。
出番までの時間をできるだけ長引かせてじらす。
じらす。まだ、じらす。
いいね。これだ。

たとえば相撲で、ねっちりと四つに組む取り口。
一気の寄りなんかなくて、
とにかく胸と胸を合わせるまでが第一段階。
まだ先もあるのかよと暗澹とする。
そのような絡み具合だ。

何といっても、Pepe Tormento Azucarar のハープには電飾ですよ。
演奏中に先っぽがピンクに光ったりブルーに光ったりしていた。
悲しき熱帯と言うよりは、
銚子の亜熱帯である。
野生の思考と言うよりは、
マニーのピークである。

こういうものを女性が聴く。
そのことに驚く。
銚子をはじめ全国の歓楽街では、
酒を飲みながらオヤジたちが、
お目当ての新人さんの出番を待っている。
その直前の非常にそそられる気分を、
がっちりコントロールする音楽が
これだ。
そんな妖しいものをきちんとした身なりの女性が
おすましして聞いている。
女性同士の連れ合いもいる。なるほどそうか、そういう二人か。

パーカッションは担当が二人もいる。
全員で10名の編成の中で、である。
そしてパーカッションの効果は絶大である。
もういきなり歓楽街の午前0時である。
「爛れた交響楽」と印刷にあるが、
実際に爛れきっている。
女性パーカッションの演奏する姿は
まるで女性の自己による性的刺激のようであった。
バイオリン女2、ビオラ女1、チェロ男1。
全員が性的活動全開である。
コントラバス、ハープ、アコーディオン。そしてピアノ。
ハープ掘米さんはジャズにハープか!と思わせて、楽しい。
アコーディオンはとてもうまい。
このところ、ギター、ウクレレとうまい人が続出だが、
このアコーディオンもとてもいい。
ピアノは南博さんで、
演奏中に、椅子を傾けて体を斜めにして弾いていた。
自在だ。
全員が「熟れていました」。
この頃の人として、できることは全部経験したというところでしょうか。そんな関係のことは。
音楽の一部はそういうことなんだろう。

文化も最後尾になるとこのような爛熟期を迎えるらしい。
女性がこのような音楽を演奏して、女性が聴くのである。
生殖と関係なしに性的刺激を続けている。

一般に女性は耽溺しやすい。
そこで酒、たばこ、性的刺激、音楽、これらから女性を遠ざけておくのは、
男性としては必要な対策であった。
ストリップ小屋でたばこを吹かしながら酒をあおりながらけんかしながらバクチをしながら性的楽しみのために演奏される音楽は、
男性としては、最後まで女性に秘密にしておきたいアイテムだった。
文化最後期の現在、女性たちはここまで楽しんでいる。
会場のメスたちは性的開花を楽しんでいるようだった。
女性たちの耽溺は底がない。終わりがない。

ボーカルはKahimi Karie さんが登場。
今日はLook of loveを歌った。
歌ったというか、囁いた。菊地さんも一緒に囁いた。
ダイアナ・クラールのLook of loveを
サーロインステーキとすれば、
小振りなアジの干物だった。

どんどん演奏は進行。
わたしの頭の中では文章やイメージが交錯し、
少しの間に文庫本の一冊は書き上げたような気分だった。

最後のほうでトークが入り、
今日は演奏に熱中しすぎて、話が短くなってしまったと言っていた。
多分、とても熱が入っていた。
Kahimi Karie さんだけは何となく興奮に乗り遅れた人みたいだった。

わたしにとってはいいコンサートだった。
心の中のステージでいろんな妄想が炸裂していた。

音がからみつき、色彩が単調に踊り、脳のある部分をくすぐる。
それは音楽中枢であり、性中枢とほとんど重なり合っている。
パーカッションが人類の長い長い物語を思い出させる。

菊地食堂の出前持ちの息子はこんなに成長しました。
でも、子どものままですね。
ストリップ劇場の女性たちにからかわれて照れているよ。

—–
「本日は銚子劇場でお楽しみ、ありがとうございます。
踊り子さんはすぐ登場です。
ミナサマ、いましばらくお待ち下さい。」
音楽、続く、いつまでも、
踊り子登場せず、ジリジリ、イライラ、
客からは口笛、
それでも音楽だけで引っ張り、
ペペ・トルメント・アスカラールは、
踊り子の替わりに演じ始める。
さあ、ねっとりからみつく。