お金と命

原始的な社会では暴力が一番大きな力だったろうと思う

次には宗教的な力だったと思う
もっともらしいことを言って相手を引っ込ませる能力といってもいい
その場合、罪に対する罰としては
暴力つまりムチで何回叩くとか正座した膝の上に200キロの石を乗せるとか
拷問といってもいい
また宗教的には天国に行けない、地獄に堕ちる、末代まで祟られるなどの呪いがあっただろう
ところが近代の刑法では
もっぱら刑務所に閉じ込められるかまたは罰金である
なぜ刑務所暮らしと罰金が「または」でつながるのか理解出来ないがそうなっている
極端に言えば金を払えばそれでいいのかと疑問にも思う
こう考えて、腕力が強かったり、口が達者だったりして、強者の地位を築いた人たちも
近代ではそれらは結局お金に換算されるのだと思う
そして換算できないものが幾つかあり
それは人生の大事なものなのだと思う
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「それはお金で買えるか?」と考えてみるのはなかなかよい思考実験だと思う。
命 これは結局は買えないと思う だから医者の仕事は特別なのだと思う
また芸術を深く味わう能力 これも絵を買ったりコンサートに行ったりするのはお金があればできるけれど
深く味わうことはお金ではできない
スポーツの熟達などもそうだし
読書をして感動したり良く考えたりする能力もお金では買えない
ブログを毎日書く変な趣味もお金に換算はできない
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世の中の衣食住などはお金に換算できる世界で日本では主に財務省などが支配しているのかも知れないが
それは元をたどれば暴力と宗教(言葉の恐怖)に還元できるのだと思う
現代では警察とマスコミがその担当になる
肉体的暴力にも言語的暴力にも還元できない価値が人の命なのだと思う
その生命を扱う医者の仕事が過労である
週40時間労働なんて守られるわけがないし
当直が月に7回とか当たり前にあるし
携帯電話が普及していつでも呼び出されるし
大変だけれど
これはお金に還元できない価値である命の大切さをみんな身にしみているから躍起になっているのだと思う
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という具合に話は遠回りして
結局、予算をつけないと命も守ることができないのだった
そして遡れば予算(お金)とは肉体的・精神的暴力であって命を守ることとは対極にあるものと想定されるのだが
この側面での考察によれば
命の基底をなすものと考えられるのだろうと思う
これは暴力によって命を守るという原始的な防衛の変形なのだろうか