妄想と感覚

妄想の一部はやはり感覚そのものの違いの問題があるのじゃないかと思うわけです

感覚というとまた曖昧ですが
幻覚とはまた違う意味で、妄想の根底に、何かそのような感覚の錯誤があるのではないかと思います
ある人が1.どういう行動をした、2.どういう表情であった、3.どういう心理であった
などと人間はそのその時々で必死に解釈しているわけですが
1.2.3.の順に主観的になるものと思います
その順に妄想的になるわけです
従って、3.どのような意図であったか、については容易に妄想的になり、
たとえばスパイが私を狙っているなどとなるわけです
2.でいえば、私をあざ笑ったとかの解釈になるわけで
これは1.と3.の中間物になると思います
1.のレベルで主観的な歪んだ解釈をするとすれば
それは嘘のレベルか、あるいは幻覚と考えられるか、というあたりになると思いますが
しかし1.のポイントで現実把握に間違いがなければ、かなり話は通じるはずでしょう
その人が東に歩いたのか西に歩いたのか、そんな基本的な点で既に主観的な間違いが生じているわけで
そうであれば、なるほどそこから先は、説得も難しいはずでしょう
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典型的なのは、願望を現実に反映させて、現実をゆがめて解釈する事です
あるいは逆に、起こって欲しくないと必死に願っている事を、やはり起こってしまったと解釈する事もよくあります
これは人間の不思議な心の働きで
自分にとっての不幸が必ず起こると信じている人たちの場合に実際に予言が的中する形で起こるわけです
その人の心の中以外には何も起こっていないわけですが
その人にとって主観的には、否定しようもなく現実に起こってしまっているわけです
その取り返しのつかなさの感覚は非常に悲劇的で
そのことをきちんと理解されない苦しみがまた重なる事になります
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このような思考一般と魔術とか魔法、呪術的思考とは近い関係にあります