How fragile we are

Fragileが流れていて
how fragile we are と歌う
8月6日の原爆の被害の日、
改めて命がもろいこと、
人の心のもろいことを思う。

原爆は命を破壊し、
DNAを傷つけ、
さらに深刻な心の傷PTSDを残した。
命もDNAも心もfragileである。

いまのところfragileでないのは
中国政府で
各方面にトラウマを撒き散らしっぱなしではないかと思う。

アメリカも日本もロシアも北朝鮮も韓国も、統治者は結局似たようなものではあるが。
日本の報道が、中国政府に対して批判的ということもあり、
随分強権的な部分が拡大されて報道されている。
あるいは、日米等に関しては、強権的部分を隠蔽するように報道されているということなのだろう。

PTSDがあるところには必ず隠蔽のメカニズムがある。
個人の心のレベルでも隠蔽しようとするし、
集団の意識・無意識としても、隠蔽の方向で働くことが多い。

隠蔽には長い歴史があるからである。
隠蔽に慣れているからである。

そしてまた、暴くことが二重のPTSDになるとの言い方もされていて、
これもまた隠蔽への合理化であると思う。
難しいものだ。

壊れていない品物にfragileと表示するのは意味がある
もう壊れてしまったものにいまさらfragileと表示してもらっても
実際、どうしようもない。

そして壊された側の事情は壊した側には伝わらないような、
心理的なメカニズムがある。
壊した側には一貫した合理化のシステムが用意されている。
神話から科学理論からジャーナリズムまで。
それこそが権力の実体なのだ。