インフルエンザ菌 Haemophilus influenzae type b
ワクチン接種のすすめ 福地貴彦(秩父市大滝国民健康保険診療所)
日本におけるワクチン導入の遅れ
インフルエンザ菌Haemophilus influenzae type b(以下Hib)ワクチンは他の先進国ではすでに接種が一般的なワクチンであるが,日本においては2007年1月にようやく販売認可された。日本の行政によるワクチンへの対応は残念ながら著しく遅い。Hib髄膜炎で後遺症をきたした児を持つ親が,Hibワクチン・肺炎球菌結合ワクチン(PCV)の早期承認・普及を厚生労働省に訴えたと聞く。WHOが1998年にすべての国に対してHibワクチンを定期接種プログラムに組み入れることを推奨してから,すでに9年が経過しようとしている。この9年の間に救えた,そして後遺症を避け得た小児はいったい何人であっただろうか。 さて,そのHibは5歳以下の乳幼児に重篤な感染症,特に髄膜炎,sepsis(敗血症)を起こすことで知られている。Hib髄膜炎の日本での発症頻度は5歳未満人口10万人に対し7.5-8.9人であるとされる。一方,米国では1990年よりHibワクチンが導入され,5歳以下人口10万人あたり25人であった発症率がほとんどゼロにまで劇的に減少している。
Hibの重篤感染症(Invasive diseases),なかでも髄膜炎に関する最近のエビデンスがほとんどないという事実はご存じだろうか。日本以外の先進国ではHibワクチンが導入されてすでに10年以上経っており,Hibの髄膜炎そのものをほとんど考慮しなくてよいためである。例えば感染症実地診療の有用なツールであるポケットマニュアルSanford『熱病』(2007)によると,細菌性髄膜炎(生後1か月-50歳)の起因菌では,S. pneumoniae,N. meningitidisが「通常」考えられ,H. influenzaeは「現在非常にまれ」とされている。すなわち実際に治療に関わる際,重要な指針となる最近の欧米のエビデンスはほとんどない。しかし日本では今でも決してまれではなく,むしろ起因菌の最有力候補である。さらに肺炎球菌とともに耐性化が進み,H. influenzaeと判明した髄膜炎でのampicillin感受性株は27.7%しかない。
Hib感染症がこれほど多く存在するのは恥ずかしいこと
日本でBLNARのエビデンスを作ればよい? いや,そもそもこの細菌がこれだけ多数存在することは,世界的に見れば「恥ずかしい」ことなのだ。麻疹が大流行すること,欧米に輸出していることも,とても「恥ずかしい」ことであるのと同様である。感染症診療の基本は予防することであり,ワクチンで予防可能な疾患は,ワクチンで予防を徹底することが最重要である。 些細な理由で各種のワクチン接種を拒否する親を数多く見たし,親からのクレームを懸念するあまりか接種に消極的である医師もいた。国もワクチン問題での訴訟をいくつも抱え,最終的に敗訴になった例もあり全般的に消極的であると感じる。国の最優先課題は訴訟にならないこと,その次が国内のワクチン産業の保護なのではないかと,穿った見方もしたくなるほどだ。
日本では1990年代にMMRワクチンで使用されたムンプス株が原因の無菌性髄膜炎などの重篤な副作用が発生し,一時ワクチン悪者論のような言論も見られた経緯がある。しかし,世界的な観点,集団医療の観点から,標準的なワクチンを推奨しないのは日本で産まれる小児にとって不幸ではないか。
リスクとベネフィットの両方を明確に説明する
幸い医薬品医療機器総合機構(PMDA)という厚生労働省の機関が,医薬品の健康被害に対して調査・援助するシステムを構築している。医師が副作用に関して説明するのは当然だが,ワクチンや医薬品に対して親が不安感を持っていたら,ワクチン接種や薬剤投与によるリスクとベネフィットの両方を明確に説明する必要がある。つまりワクチンを接種した場合としなかった場合,および薬剤投与した場合としなかった場合の,想定されうる状況を説明するのが本来のインフォームドコンセントではないだろうか?
自治体から始める
ところで,現在日本で接種が行われているワクチンで,草の根運動的に公費助成が始まった一例として,23価肺炎球菌ワクチンがある。筆者の属する埼玉県秩父市大滝地区も同ワクチン「ニューモバックス®」の公費助成を行っている。日本では脾臓摘術後にのみ保険適応されているが,高齢者や免疫抑制患者の肺炎球菌感染症の重症化や死亡の予防効果に関しては一定の見解が得られており,2007年6月現在46の地方自治体が何らかの形で公費助成を行っている。市町村名を見ると中小の自治体が多く,へき地勤務の自治医大卒業生が導入に関わっている地域も多いようだ。 厚生労働省が大変重い腰を上げるのを待つ間に,既成事実として実際に地方自治体からHibワクチンの公費助成事業を立ち上げるべく,自治医大のネットワークを利用し呼びかけている。大規模な自治体は小児の数も多く,「予算」と「前例」がないためなかなか始めにくいと思うが,自治医大卒業生が勤務するような小規模な町村では出生数も少なく,意外と簡単に導入してもらえることに期待している。いくつかの自治体が実際に始めたら,その制度の拡大はスピードアップするだろう。事実2006年には,ニューモバックス®の公費助成を導入した自治体は一気に17も増えた。東京都目黒区や千代田区のような知名度の高い大規模自治体にも波及している。さらに数が増えれば,どこが閾値かはわからないが爆発的に増加することも夢ではない。
医学界新聞の読者には,病院勤務の方のみならず保健や行政にかかわる人もいるだろう。この機会にHibワクチンの重要性を明確に認識していただきたい。そして,ぜひ同ワクチンの接種者を一人でも増やし,Hib感染症に悩む小児を一人でも減らせるよう,多方面からの皆様のご協力をいただきたい。