民主主義というバーチャルなもの 擬制

憲法によれば政治的意志決定は国民の意思によるという

でたらめである

政策決定側の事情でいえば、
まずイデアルな国民を想定する

現状の環境に暮らし、
理想的に理性的な判断を下し、
理想的に情緒が安定し、歴史と科学を理解し
世界情勢に通じている、
そのような理想的な国民がいたとして、
それらの人に国民投票的な形で意見を聞いたらどうなるかと
想定する。
そして出るであろう結論を政策としてまとめてゆく。
それが政策決定ということである。

リアルな国民は理性的でもないし情緒は不安定だし
歴史を理解していないし科学も勿論理解していないし
法律は勝手に思い込んでいるだけだし
世界情勢についても新聞がどんな嘘を書いているのか知っているほどではない。
そのようなリアルな国民に何を聞いても無駄というものだと
思っていると予想する。

現代では、主権者に教育することが行われるのだが
教育さえ受け付けない人々が増加して
予想通りの成果が出ない。
それが自民党の行き詰まりでもある。

こう考えてみると政策決定者は
まったくバーチャルな世界で手探りをしているものと思われる。
理想的な国民がいたらどのように決定するだろうか、考えろといわれても決めてはない。

自分たちが今日牛肉を食べて、その支払いを50年後の子孫に回す、
そんなことをしていいのだろうかと、イデアルな国民はどう判断するだろうかと、
しゃぶしゃぶを食べながら話し合っている。

その場合、
イデアルな国民とはつまり役人である自分のことなのである。

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政策担当者としては、結局結論はこのあたりだなと見当がつく。
それで各方面から異論が出ないようにするにはどうするか、
それも一仕事である。
たとえば、科学技術関係の予算配分など、高度な用語が並ぶ領域では
公表しても内容を理解できないと思うので反論も封じられる。
しかしそれも難しい領域がある。

ちゃんと理解すれば結論はこれしかないのになあと
非常に良心的に思いつつ
何かの加減で集中砲火を浴びて降参することもある。
リアルな勢力からの反撃である。

この場合リアルとは不合理で感情的で原始的な部分も含む勢力。

リアルの中から合理性を精錬して初めて、
民主主義が成立するのだが、
それは結局バーチャルなものでしかない。
そしてそれが存在しているのは政策立案者の頭の中だけである。