隣人愛をまじめに考えると
ついには隣人と自分がすべてを半分に分かち合うことになるはずで
さらにすすむと自己犠牲的献身にもなるはずで
うっかり隣人愛などと言えるはずもないものである
ほどほどの限界をきちんと設定した上での
献身する側にとっても心地よいボランティア
といった風情ならば
まあまあだろう
逆に鼻持ちならないとも言われそうである
サービスされる方は
ちっともありがたくないなどと言いそうである
でもそれくらいで人間の社会はちょうどいいのである
隣人愛は究極の理想であって
人間世界のことではないのだ