ストレスがあるないというのも
自分でストレスと思っていれば
当然ストレスなのであって
思い違いとしてもそれはその人にとってストレスなので違いはなく
やはり主観的なものだ
そのような主観的な判断に基づいた状態を
社会に流通させるには
やはりもう一段階の社会化というか共通化の段階が必要だ
そうでなければ
公式には認められるが
暗黙には否定されるという現実に突き当たる
にこにこの笑顔で迎えられ
奥に通されて
永遠に帰ってこない
ストレスがあるないというのも