佐々田雅子 ハードボイルド

8丁目で聞きかじりをしたところでは
ハードボイルドの翻訳では佐々田雅子さんという人が評価が高いらしい。
その人は小鷹信光も評価していた。

そもそもハードボイルドとは
客観的でビデオカメラみたいな描写を積みかさねる手法で、
心理説明などしない。

ヘミングウェイから始まって、チャンドラーとかカポーティが有名である。

いろいろ言っていたがあまり覚えていない。
Wikiで調べたらだいたい同じ事を書いてある。

私なりの理解では、
「彼は決心した」と書かないで、「彼は樅の木を見上げた」と書く流儀である。
映像化には向いているのだろう。

簡単に落ち込んだり、簡単に驚いたりしない。

私にとって一番分かりやすいのは
ハンフリー・ボガードのカサブランカである。
新宿鮫と濱マイクもテレビで見たが、
濱マイクはマイク・ハマーのもじりだけあって、
ハードボイルドになりきれず主題歌が妙に記憶に残っている。
くちばしにチェリー。

ハードボイルドは固ゆで卵だけれど、
たしかに固ゆで卵はつらそうだ。
弱くなれよと言ってあげたい気もする。

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「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」
というタイトルだけで
もうすっかり固ゆで。

私はミステリーは読まない方で、
ずっと昔の正月に、ミステリー好きの人に勧められて、
入門編はアガサ・クリスティーと横溝正史だとの指導を受け入れ、一冊ずつ読んだ記憶がある。
横溝は確かに映画よりも小説がおもしろかったような気がする。
でもこれは推理小説とかミステリーだからハードボイルドとは別。

谷川俊太郎が推理小説について書いている

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現代に生きる我々が推理小説に求めるものは、
平和、静けさ、単純さ。
テレビドラマの水戸黄門と同じである。
すべては説明され、すべては理詰めである。

現実は混沌としていて、死の意味すら与えられていないのに、
推理小説の中には、美しく構成された、論理的な、完結した世界がある。
死には明確な意味が与えられている。
推理小説の中では、無意味に死ぬ者はいない。
その大いなる安心感。

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無意味な死はない理詰めの世界。

ひょっとしたら、現代人は精神病になるのは理由があると思っているのかもしれない。

無意味な精神病
は耐え難いですか。

これは非常にハードボイルドかもしれない。
自分の理性が失われてゆく恐怖。
途切れ途切れに理性が戻る、その気まずさ。

拷問ならば意味があるが、
苦しみがあっても意味がないのである。

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海外名作文学の新訳相次ぐ
 海外の名作文学の新訳を出版する動きが相次いでいる。新潮社は今月末、米国の作家カポーティの小説『冷血』を手始めに、10月にセルバンテス『ドン・キホーテ』、11月にナボコフ『ロリータ』を連続刊行。岩波文庫もモーム『月と六ペンス』の新訳を7月に出すなど、積極的な取り組みが目立つ。

 新潮社の3作は、単行本として出した後、適当な時期に文庫版も訳を切り替える。「訳を新しくすると、今までと違う読者が生まれる。出版社の使命感のようなものもある」と語る。

 一方、岩波文庫は数年前から文庫の年間販売部数を調べ、需要が大きい物について新訳を出すか検討している。2000年以降、チェーホフ『ワーニャおじさん』や、モーパッサン『脂肪のかたまり』など計19冊を出版した。「すぐ売れ行きに影響が出る訳ではないが、長いスパンで効果を考えたい」という。

 新潮社から出た『冷血』は、米中西部の農村で大農場を営む一家4人が殺害された事件を、綿密に取材したノンフィクション・ノベルだ。警察と犯人の取り調べ中のやり取り、死刑執行まで再現した内容は圧倒的な迫力がある。犯罪小説などの翻訳で定評がある佐々田雅子氏が担当した。

 〈ペリーがやったんです。わたしには止められなかった。やつが全部殺したんです〉(龍口直太郎の旧訳)

 〈やったのはペリーだ。おれには止められなかった。やつがみんな殺したんだ〉(佐々田雅子の新訳)

 新旧の訳を比べると、殺人を犯した2人組の1人が自白する場面を例にとっても口調がかなり異なる。佐々田氏は「殺人犯2人の関係性を考えて、会話で自分を呼ぶとき『おれ』『お前』など、どの人称がふさわしいか考えた。文章も読みやすくするため区切った」と語る。1967年の旧訳より全般的に文章が現代的でこなれていて読みやすい。

 名作の新訳を出すのは、簡単ではない。出版社は投資が必要になる。「今回は少なかったが、自分と前の訳文が重なった時どうしようか考えた」(佐々田氏)と語る通り、新しい訳者は先人と常に比較される。文学作品の翻訳は手間がかかるのにハウツー本などに比べて部数が少なく、訳者の収入が低くなりがちという翻訳界全般の問題もある。

 日本人が海外文学を読み継ぐには、古びた翻訳を更新することが欠かせない。地道な努力を積み重ねる人々の仕事は、もっと脚光を浴びていい。(待田晋哉)

(2005年9月29日  読売新聞)