高慢であることは
それ自体人間社会の中では損をすることなので
にもかかわらず高慢でいるということは
高慢でいるという高いコストを支払っても何かを得たい、守りたいということだろう
周囲の人間から見れば高慢な人は事実誤認をしてるのであって
その誤認を訂正するのは苦しいので
たとえば友人をなくすなどのコストを支払ってでも
事実誤認を継続したいということなのだろう
だとすれば正当なコストを支払って
自分の欲しいものを手に入れているわけで
高慢であることもそれはそれでいいだろうということになる
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自分の子どもがそうであったら
損をするぞと言ってあげたいが