クリエイトの現場を考えてみると
ショパンが血反吐を吐いてナショナリズムとか芸術とかに命を捧げた時代ではない
工房というかそんな方式である
それは個人の天才に頼らない方法で頭が良い
そこで定型である
たとえば短歌は自由律でもいいに決まっているのだけれど
やはり定型にしておく
なぜかといえば
それを書いて飾るときに据わりが良いからだ
背景の模様などを作るときに
ある程度取り替えがきく
たとえば短歌にメロディーをつけると考えると
作詞と作曲の分業のようになる
それぞれをプールしておいて組み合わせれば
生産効率が良い
シンガーソングライターは効率の悪い方法で分業した方が都合がいい
作詞、作曲、歌唱、口パク、それぞれが分担した方がうまくいく
演歌などは限りなく定型だけれど
いつまでも人気はある
たとえば小説を書きたいとき
23歳男性、暗い過去、世間に対して復讐したい情念などというような、
よくあるタイプの人が欲しいとして、検索すれば、いくらも類型が出て来る。
それを利用すれば、一から作り上げる必要もない。
印象的なエピソードをいくつかすぐに用意できる。
たとえばAVなどが分かりやすいのだけれど、
映像に対してアフター・レコーディングするとして、
やはり声のいい人というものはいるもので、
1秒、1秒、3秒のパターンで5回反復、などを検索してそれを利用できるようにすれば、
簡単に作品ができて都合がいい。
手タレなどもその感じだ。
特別な角度からの映りのいい手の表情はあるもので価値があるのでそれを利用すればいい。
手に優しいすっきり洗剤とか。
世の中では冒険も不幸も恋愛も飽和している
目新しいものはない
新しいと思うならば不勉強と思って恥じるか
忘れやすいのも楽しい性質だと納得するかいずれかである
ノベルの本来の意味である新奇さが発揮できるのは
科学の新領域であるが
毎年ノベルが出るわけでもない
人間は適当なくらいにバカだから
同じネタで何度でも商売ができる領域も多くて
だから定型でいいことも多い
その方が商売の予測がつきやすい
政治なども定型だし
新聞記事なども定型をなぞって商売している
ニュースショーのライターも完全に定型をなぞる人種のようで
ノベルティというものが全くない
あれほどまでに全く何も思いつかない人種というものも
どうしたものだろうかと
むしろそこにノベルティを感じる