「本人が自分からケアを望まないと医療的な介入は難しい」

 15歳で知的障害(や重症の発達障害)があるケース等では、最近では「特別支援学校に入学してじっくり教育しなおす」という手が残されている。
 また本人の側も、主治医や親、教師がきちんと理解を示して話を聞けば、素直にケアに乗りうる「素直さ」がまだ残っている。だから障害の本質に対するダイレクトな介入が可能である。
 言ってみれば、15歳までは「サポートだけで解決する道が残っている」ということだ。
 大人と同じく「本人が自分からケアを望まないと医療的な介入は難しい」という問題が生じてくる。
 だから18歳以上の場合は、残酷なようだが「一度社会的にボロボロになって追い詰められた後に本人がケアを自分から希望すれば」という大人と同じ方針を採用せざるを得ないのだ。
 
 
この差は、「年齢的に成人までの残り時間が少ない」という問題以外に、「表面的な誤魔化しで18歳まで来てしまった本人は否認が強くてケアに乗らない」ということも大きな要因だ。
 「親の管理型共依存とその結果としての事実上の尻拭い」や、「IQが高い」などの理由で、「特有の表面的で超場当たり的な誤魔化しが致命的な適応障害を来たさないで18歳まで来てしまった」ということが本人の一番の不幸なのだ。
18歳をはるかに超えて、30歳でも40歳でも60歳でも、「子供の思春期」や「離婚の危機」などの追い詰められた状況で、本人自らカウンセリングを希望する場合は、逆に発達障害の診断でケアすることが出来、しかも結構良くなるから面白い。この段階では人格障害の診断は無意味で、発達障害の診断と依存性への認知療法が有効なのだ。