知識には、暗黙知と形式知がある。
暗黙知は言葉や文章で表現することが難しい主観的な知であり、個人が経験に基づいて暗黙のうちに持つ。思いや信念、身体に染み込んだ熟練やノウハウなどは典型的な暗黙知である。
一方、言葉や文章、データなどで表現できる明示的で客観的な知が形式知だ。
米国流の分析的経営では、形式知を重視する傾向が強かった。しかし、環境が不確実性を増すにつれ、再び重視されるようになったのは「現場の知」であり、それはたいてい、暗黙知として存在する。
ただし、暗黙知のままでは何も生まれない。暗黙知を形式知へ、そしてまた、形式知を暗黙知へと相互に変換していくプロセスの中で知識創造は行われる。我々が提唱する知識創造理論ではこの相互変換のプロセスを4つのモードでとらえ、各モードの呼び名の頭文字を取って、SECIモデル(セキモデル)と呼ぶ。
それは次のようなプロセスを取る。
(1) | 共同化(S=Socialization)=現場で個人が獲得した暗黙知(思い、イメージなど)を、共体験などを通じて互いに共有し、組織の暗黙知にする。 |
(2) | 表出化(E=Externalization)=暗黙知を言葉や図などで表現し、形式知(コンセプトなど)へ転換する。 |
(3) | 連結化(C=Combination)=形式知とほかの形式知を組み合わせ、1つの体系としての新たな形式知をつくり出す。コンセプトを具体化する設計や製品づくりが該当する。 |
(4) | 内面化(I=Internalization)=新たな形式知をつくり出す経験を通じて、各自が新たな暗黙知を吸収し、血肉化していく。
こういうのは同じ構造で 無意識と集合的無意識と意識との話とパラレルなのだけれど いつでも暗黙知の奥底に何か残る感じがあって 暗黙知を共同化し表出化すること自体が暗黙知をさらに暗黙知に閉じ込める操作であるような気がする もともと暗黙知なのだからそういう性質のはずだ |