生きがい
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いつしか、お金を得る喜びよりも、自分が認められている、自分の存在意義がある、と感じる瞬間の満足感の方が、お金を得る喜びを上回った。働くことそのものが楽しくなったのだ。
だから、もっとやりがいのある仕事を求めて、もっと自分の存在意義を感じられる仕事を求めた
アブラハム・H・マズローは、「個人の成長という観点から見た場合、企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である。私の知る幸福な人々は、いずれも自分が重要とみなす仕事を立派にやり遂げている人である」と説き、ユーサイキアン・マネジメント(働く人々が精神的に健康であり得るためのマネジメント)という造語を作った。
職場は単なる労働の場にとどまらず、人間のさまざまな欲求を満たすために最適な場所であり、やりがいを感じられる労働・職場とは仕事の枠を超えたライフをも満足させる職場となる。
社会とつながっていると実感し、社会に自分が認められたような、ちょっとだけ成長できたような、何とも言えないあの快感。それはどんなにプライベートを充実させても、なかなか得ることができない満足感だ。
お金がそこに存在しなくとも、それは時に自分の能力を発揮できた瞬間であり、誰かとつながった瞬間であり、社会から認められた瞬間であり──。
永遠に続くものではないけれど、その瞬間に出合うことができる最適の場が、仕事なのだ。 お金以外で感じる満足感には、心の豊かさがある。それを私たちは、「やりがい」とか、「働きがい」という言葉で表現し、働きがいがあると、お金は大切なことではあるけれど、最大最強のモチベーション要因ではなくなる。お金では買えないものに快感を得る自分、お金のためだけには働いていない自分──。そんな自分を実感できることは心地よくもある。
働きがいややりがいは、お金に関する欲求を弱める効果を持つことが、これまでいくつかの実証研究で確認されている。つまり、今の職場(あるいは仕事)に「働きがいがある」と答える人の場合、お金への関心が薄れる傾向が認められ、逆に、「働きがいがない」と答える人ほど、「働くのはお金のため」と答える傾向が強まるのである。
働きがいさえあれば、お金はすべて、ではなくなるのだ。
価値観の共有がなされていると、会社=経営者は、いわば働く人の同志だった
ところが、会社は豊かになっても、利益を上げなくてはいけない。会社の「金儲け主義」と、存在欲求を求める働く人との間に価値観がずれが生じ始める。
さらにオートメーション化が進む一方で、バブル崩壊後には経済が低迷し、企業にとって働く人は、もはや「大切な人」ではなくなった。価値観が共有されていない職場、大切に扱われない職場で、やりがいや働きがいを感じることは難しい。昔のようにただ会社の求めるように働くだけでは、働きがいがなかなか得られなくなったのだ。
もちろんそうでない会社はたくさんある。従業員を大切に扱う会社の労働者は働きがいを感じ、仕事への満足感も高い。そういった会社が必ずや賃金が高いかというと、そういうわけではない。
そして、私の知る限り、そういった会社のトップは容易に従業員を切ることがないし、トップと従業員が同じ光に向かい、希望を持って、価値観を共有して働いているケースが多いように思う。
トップの「働きがいのある職場をつくりたい」という意識なくして成し得ない
一度でも仕事で「お金以上の価値あるもの」を体験してしまうと、その快感が忘れられないのもまた事実。
多くの人が仕事に働きがいを感じられるような職場づくりを、トップに期待してしまう。