統計的にみて、勃起障害の症例数は性障害全体の約半
数を占めている。その中でも心因性の勃起障害は90%
を上回っており、その治療的対応は常に急がれていた。
従来の心因性勃起障害に対する心理療法を挙げてみる
と、精神分析療法、支持的精神療法、簡易精神療法、集
団療法、表現療法、ゲシュタルト療法、自律訓練法、系
統的脱感作療法、催眠療法、センセート・フォーカス・
テクニック、サイコ・ドラマなどが挙げられよう。これ
らはつまり精神療法と行動療法とに大きく分けることが
でき、それぞれが治療効果からみて長所と短所を持ちあ
わせている。精神療法は深い病理性を持つ心理的葛藤に
対しては有用であるが、治療終結までに長期間を要して
しまう欠点がある。行動療法では、浅いレベルの不安の
解消にあたっては得意であるが、治療過程で露呈してく
る精神病理や治療抵抗などの処理、治療者-患者間の感
情移転の対応については苦手と言わざるをえない。
これまでの臨床経験から、勃起障害の病因として、深
いレベルの心理的要因が関与している症例は少数グルー
プであり、多くは表面的な単純な不安が繰り返し学習さ
れてしまった結果としての勃起障害である。つまり1~
2度の、勃起が得られず性交に失敗してしまった体験を
過大に受けとめてしまい、「今夜もまた失敗するので
は…」という予期不安が自然の勃起を損なってしまって
いるような症例が一番多いのである。このような症例に
対しては、精神療法をファースト・チョイスとする必要
はなく、行動療法的に対応すれば十分である。もちろん
治療中に生じてきた前述したようなやっかいな問題に対
しては、その時々に精神療法のセッションを設ける必要
があろう。
受診者数の多い心因性勃起障害に対して、なにか有用
な治療法はないものだろうかと以前から考えていた。あ
る時、治療中の本疾患のケースが次のように語った「し
ようとするとダメなのに、女房が生理中だと勃起してい
る」。また別のケースは「泊り客が隣室に寝ていた時は
元気だった」というのである。すなわち、これらのケー
スは“しなくてもよいとき”は勃起できるということで
ある。その後もこのようなパラドックスな現象はよく耳
にしたため、これを治療に使えないだろうかと思案した。
勃起障害に悩む人達が、パートナーの前でなんとか勃
起させようと躍起になっている姿は容易に想像できる。
全身に力を入れ、足をつっぱり、額に汗して、不安と緊
張の中でペニスに刺激を与えるのだが、一向に勃起が得
られず、焦りの極限におかれている。まず、このような
交感神経が優位な状況では勃起が得られにくいことは自
明である。さらにこのような状況下で、パートナーから
冷たい言葉でもあびせかけられようものなら決定的とな
ってしまうことは言うまでもない。
失敗が予測され不安が充満している性交現場で、なん
とかリラックスできる方法はないものだろうか。20年
程前までは、このようなカップルへの宿題として“性交
を禁止したうえで、20~30分間裸で抱きあっている”
ことを提案していたことがあった。性交を禁止したこと
で、不安から解放された一部の患者はうまく性交にこぎ
つけることができた。しかし、多くの場合、宿題を“性
器に触れる”から“性器同士の接触”と進めてゆくと、
頭の中は勃起させることでいっぱいになってしまい、結
局失敗に終わっていた。
やはり、勃起させようと考えること自体が勃起のメカ
ニズムにとってマイナスに働いているように思えるし、
パートナーからの勃起への期待も男性にとってかなりの
プレッシャーになっていることがわかってきた。ノン・
エレクト法はこれらの勃起障害に対するリスク・ファク
ターを除去することによって、自然の生理現象が機能し
始めるよう考案されたものである。
1)ペニスの神経生理
遮二無二勃起させようとしていたカップルの考え方を
180°変更して、“勃起させないように”と教育し、その
ように実行してもらうためにはそれ相応の根拠を示さな
ければならない。それにはペニスの皮膚感覚と神経生理
の説明が必要となる。図1を示しながら、ペニスの皮膚
感覚が一番敏感なのは平常時のペニスを引っぱったりし
て少しふくらんだ状態(半勃起時)であることを説明す
る。このとき、男性側には「完全に勃起してしまったら、
たたいても、つねっても感じにくいことは経験的に判っ
ていますヨネ」と同意を得ておくとこの事実を理解して
もらいやすい。
2)ノン・エレクト法の目的
ペニスがもっとも敏感な状態、すなわち半勃起の状態
で一番敏感な亀頭部に行う感覚集中訓練であることをま
ず説明する。ここで感覚集中訓練(Sensate Focus
Technique)の基本についても説明しておかなければな
らない。つまり、皮膚感覚だけに全神経を集中し、得ら
れた感覚を言語化して相手に伝えるが、パートナーへの
配慮などは不要であることを伝えておく。ただし通常の
感覚集中訓練はカップル相互に行うが、ノン・エレクト
法では男性が一方的に行うことになるので、女性側のフ
ラストレーションを解決する必要があり、これについて
は後述することにする。
3)ノン・エレクト法の手順
〈対象〉
ここまでの性教育的なセッションが終わっていよいよ
治療に入る前に、心因性勃起障害であれば、パートナー
の協力さえ得られれば、100%治癒する保証をまず与え
ておく。よく単身者や別居状態にある男性が勃起障害の
治療を求めて来院することがあるが、この場合ノン・エ
レクト法の治療対象にはならない。なぜなら性交そのも
のが、非常にプライベートな2人の間の人間関係のある
ひとつのコミュニケーションの方法であって、その2人
の人間関係全体を操作してゆかなければ治療にはならな
いからである。
また、カップルでの来院であっても、夫婦間に何らか
の葛藤があって、親密度が薄かったり、性的熟練度があ
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まりにも低いような場合には、本法の対象になりにくい
ことがある。
〈手技〉
①勃起させようとは絶対に考えてはいけない(これを何
度も強調して伝える。この説明には、「人間の臓器には
心臓のようにユックリ鼓動してくれと願ってもそうはな
らない臓器もあり、ペニスも同じで勃起してくれと思っ
てもいうことをきいてくれない。逆にそんな風に思って
焦ったり、不安がったりすることで、ますます勃起しに
くい状態に陥ってしまう」ことを理解してもらう)。
②いつものように愛撫しあって、腟潤滑が得られたこと
を確認する。
③半勃起状態もしくは、平常時のペニスの根本を指で圧
迫し、亀頭部をうっ血・充血させる。これはパートナー
の指で行ってもよい(この説明には、液体のりのチュー
ブを使って実際につまんで、先の方が硬くなることを確
認してもらえばよい)。
④この状態のまま、亀頭部だけを腟入口に滑り込ませる。
⑤そして全神経を亀頭部の感覚に集中し、腟内のやわら
かさ、温かさを楽しむ(ここで注意しなければならない
のは、亀頭部には痛点および温点は分布していないので、
温かさを感じることができるのは亀頭頸部と包皮心体部
分などの陰茎体部に近いところになってくることであ
る)。
⑥もし勃起してくるようなら、一度腟からぬきとって、
勃起が消退するのをまって、再挿入する(あくまで勃起
させてはダメということを伝える。勃起してしまったら、
皮膚感覚が鈍くなってしまうので、感覚集中訓練には適
さず、失敗であることを再度説明する)。
⑦ペニスに手を添えながら、ピストン運動はかまわない
が、深い挿入は禁止(ノン・エレクト法は性交を目的に
したものではなく、ひとつのエクササイズであるという
イメージを与える)。
⑧亀頭部で十分に腟内の温かさを感じとれたら終了す
る。協力してもらったパートナーには感謝をこめてサー
ビスする(この指示が重要である。女性パートナーは興
奮相まで来ているが、オルガスムには至っておらず、こ
のまま終了してしまっては、性欲のエネルギーは解放さ
れず問題を生じることになる。もちろん男性にもマス
ターベーションによる射精は許可しておく)。
〈体位〉
性器の接触が視覚的に確認しやすい体位が望ましい。
胡坐位、開脚位、屈曲位、ベッドなどを利用した体位な
どがノン・エレクト法には適している。しかしこれらは
いずれも男性上位である。男性上位ということは攻撃的
意味があり、交感神経支配になりやすく、勃起を生じさ
せるには不適な体位と言わざるを得ない。もちろんこの
ノン・エレクト法の最終目的は勃起を得て性交に成功す
ることにあるのだから、勃起しやすい状況を考えた方が
よいわけであり、このような交感神経優位になりがちの
症例に対しては、女性上位での訓練を提案することもあ
る。
治療成績は夫婦仲のよさや親密度と比例していると言
っても過言ではないが、ノン・エレクト法に対する反応
はまず3型に大別できる。前述のような宿題の手順を説
明して、次の予約日を決めて帰宅してもらうが、その予
約を「うまくいってしまいました」と電話でキャンセル
してくる群が約半数。そして次回の予約日に、「うまく
いきませんでした」と再来するカップルが約半数。何が
“うまく”いかなかったのかを問うと決まって“うまく
勃起しませんでした”という。あれ程説明したのに、半
数の人はやはり“勃起させよう”と懸命になっていたの
である。ここで再度、勃起してしまったら感覚が鈍くな
るので失敗であることを強調し、次の予約日までは性交
禁止にすることを確認する。この群のさらに約半数は、
次回の予約を「うまくいった」とキャンセルしてくるが、
残りの半数は「硬さが足りず、挿し込めない」と相変わ
らず勃起を期待し続けていたり、「忙しくて宿題をする
ヒマがなかった」と治療抵抗を示したり、「女房が協力
してくれない」と夫婦間の問題が露呈してきたりして、
膠着状態に陥ってしまう。もう一群は少数であるが、
「勃起してしまい、なかなかおさまらずどうしたらよい
のか」と治療のポイントを見失っている大真面目なカッ
プルが存在することも事実である。
治療成績は図2の通りであるが、順天堂大学浦安病院
での10年間に来院した性障害患者総数303例中、勃起
障害は全体の54%の164例であり、うち心因性勃起障
害は独身者7名を除き、治療を行ったものが125カップ
ルであった。治療法は、精神療法を基盤としたセック
ス・セラピーで、ノン・エレクト法を全例に用い、中に
は抗不安剤、ビタミン剤、漢方薬などを併用したものも
あった。
治療改善率は、不安定改善群(毎回うまくいくとは限
らない、勃起力が不十分…など)の24%を含めると
84%であった。なお、少数の薬物使用群の改善率は他
と有意の差はなかった。予後不明8%、治療中5%、中
断3%の結果であった。また、一度治癒した後、半年と
か1年後に再び勃起障害を訴えて再来したものが11例
あったが、これに対しては、同じパラドックス(ノン・
エレクト法)は使いにくく、精神療法に変更して行って
いる。
このノン・エレクト法は、勃起障害に限らず、他の性
障害にも応用している。たとえば、性交疼痛症や腟けい
れんの患者が、指の挿入までは可能になったが、どうし
ても性交にふみ切れずにいるような場合、本法は恐怖心
を与えずにすむため有用であることが多い。
ひとつは、本法の宿題に対して、女性パートナーから
抵抗が生じることがある。「実験台にされている」「自然
さがなく、マニュアル的だ」などの意見があり、宿題が
行えず、治療が進まなくなってしまうことがある。先に
も述べたが、このような場合、夫婦間のコミュニケーシ
ョンがうまくとれていないことが多く、セックス・セラ
ピーに入る前に、夫婦間調整のための、マリタル・セラ
ピーへの導入が必要となってくる。
さらに重要な問題は、ノン・エレクト法の副作用であ
る。症例を重ねていて最近気付いた現象であるが、本法
に協力してくれていた女性パートナーが、性嫌悪症に
陥ってしまった例が4例認められたのである。いずれも、
本法の〈手技〉⑧の事後の女性パートナーへのサービス
を怠っていたカップルに起こっている。すなわち、女性
パートナーは少なからず、性的に興奮させられておいて、
腟の入口部だけでの挿入の繰り返しに終始してリビドー
が解放・満足されないままに終わってしまうことで、自
分の性欲をも抑圧してしまい、そのような性的接触を嫌
悪するまでに変化してしまったのであろう。幸いにもこ
の4例は症状が固定してしまう前に治療的対応がとれた
ため、比較的短期間で治癒した。
今後さらに症例を重ね、手法の改善の可能性を模索し
てゆきたい。
1) 阿部輝夫:勃起障害に対する精神面からの治療―ノン・エレクト法
を中心にして―.臨泌 47(9):667-672,1993
2) Abe T:Non-erect method: Successful treatment for psychogenic
erectile disorder.Sexuality and Human Bonding,Elsevier,The
Netherlands,57-59,1996
3) 阿部輝夫:セックスレスの精神医学.ちくま新書,173-179,東京,2004