「精神療法家の仕事」成田善弘-5

自立していない人間は
自立していない文章を書く

「母親相手にものを言う」ようなものである
すべてを言葉にしなくても相手が察してくれることを無自覚のうちに期待している

幼児が母親を相手に語るとき、母親は幼児にとって他者ではない。
幼児は自分と一体の全脳の母親がすべてを理解してくれることを当然のことと思っている

これがハイ・コンテクストである。
世間というものはロー・コンテクストである。

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なるほどそうかもしれない。
甘えた気分で思うのだが、
人はそのように厳しく自立しなければならないものだろうか。

自立できないでいる人たちは
概ね幸せなのである。
幸せならそれでいいではないかという気もする。

いつかは母親と離れる日が来て
かなりの苦しみであるが
それまで幸せに包まれていたいのならそれでもいいとは思う。

自立するは自立するで苦しいものなのだから。
その苦しみはあとでもいいだろうと思うが。
それは甘やかしだと言われそうだ。

現実の母親と似たものとして仮想の「全能の母」「包み込み理解してくれるもの」を
外部に持つことによって安定することもある。
それはそれで問題であるが、ひとつの解決でもある。
どちらでもいいような感じもする。

厳しいばかりでもかわいそうだと思う。