食事の経験

食事というものは、どこまで贅沢をしてもきりがない。

自分で食事の支度をするようになれば、
手間暇の限界も悟る。
文句をつけていても食事が急においしくなるはずもない。
経済的な限界もある。
次第に何も考えずに食べるようになる。
不思議なことに自分の作った食事ならば、
まずくても食べているのだ。
なぜまずいのか自分で理解しているからだろうと思う。
理解していれば、まずくても、食べられる。
多分、そうだ。

食事に対する欲望も衰えつつあるのかもしれない。
一応食べられれば、それでいい。
売られている総菜は一般に塩が多い。
それでも、食べられないわけではない。
白米を多く食べればいいのだ。
米の水分で塩分も薄まるだろう。
最近は玄米などを混ぜて炊いている。
総菜の
味が薄ければ、それはそれでいい。
塩は少ない方がいいからだ。

わたしはそばを茹でて食べる時、
めんつゆは使わない。
そばそのものに塩味がある。
そうめんも、うどんも同じ。
乾くのがいやだったら、
茹でたお湯を少しだけとっておけばいい。
慣れれば、麺自体の塩分が味わえるし、
何より、粉の味がする。

外食や総菜が塩分過剰なのは、
何より、素材の臭みを消すためだろう。
素材がよければ、無駄な味付けはしなくていい。

わたしは豆腐には何の味付けもしないで、冷や奴のままで食べる。
醤油はどれもしょっぱすぎる。
高い醤油ほど、おおむねしょっぱい。あるいは、味がしすぎる。
うすくち醤油も、味が薄いわけではない。
減塩醤油も違いは分からない。
豆腐に何かかけたい気分の時は、だしつゆを使う。
ない場合には、一番安い醤油がいい。
牛丼屋で使っている醤油である。
これは厳密に言えば、醤油ではない、何かの味かもしれない。

白米も、玄米も、そのままで、何の総菜もなく、食べられる。
例えば錦松梅はしょっぱすぎる。

パスタを茹でる時に、塩を入れるのは、自分では塩加減がうまく行かないので、いっそのことと思い、廃止してしまった。
いまは塩を入れないで茹でる。それでいい。
大して違いはないし、味は安定している。慣れてしまえば簡単な方がいい。

そんなことを言いながら、
わたしは、スーパーでは、タイムサービスの赤札ものしか買わない。
賞味期限が切れても、一週間くらいは平気だ。
だから、本当に新鮮なものは食べていないかもしれない。
調理済みのものは、
本当に怪しいことに、冷蔵庫に入れておけば、かなりもつ。

同じ味が続くことにも苦痛はない。
最近は何を買っても、パックだから、何回かに分けて食べなければならない。
たとえばプリンとかを食べ続ける。
たとえばエビチリソースとか、酢豚を何回かに分けて食べる。
一人分を買うのは経済的ではないし、赤札で買うから、
なるべく早く食べた方がいい。
そんなわけで、何度か同じ食事が続く。
しかしそれでも、一ヶ月くらいトータルで考えれば、同じことだ。

冷蔵庫の中のものが完全に把握できないのは困ったことだ。
よく見ると見覚えのないもの、見覚えの薄いものが、冷蔵庫の奥にある。
先日は笹かまぼこが見つかった。
おそるおそる食べてみたら、特に問題はなかった。
新聞でノロウイルスの危険が言われていることでもあり、
気をつけなければならない。

人間は自分の作ったものならまずくても食べる。
それが私の発見した定理である。