核兵器を頂点とする攻撃性の応酬の世界の中で
刀よりも
刀のさやが強いのであって
刀をさやに収めてしまえばいいのだ
などという話がある
連想したのは
女性的攻撃性の関係の話
刀のさやはいかにして刀と戦うか。そして勝利するか。最近ではたいてい勝利している。
それは受動攻撃性の話で、引用すると
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受動攻撃性(反拒絶症的)人格障害の人の行動は、ひそかに他人をコントロールするか、罰することが意図されている。受動攻撃性人格障害の行動は、しばしば遅延、非能率と不機嫌さとして表される。受動攻撃性人格障害の人は、本当はしたくない仕事をすると承諾し、次に遠まわしにその仕事が遂行されないような手を打つ。このような態度は通常、隠された敵意の表明になっている。
この障害を持った人は、責任を持たされることに対して憤慨し、気持ちを率直に表すのではなく行動で示します。仕事を引き延ばす、能率を落とす、そして健忘症で責任を回避しようとします。障害の原因は不明です。生物学的または遺伝的な要因は関連していないと考えられます。主な症状は、ぐずぐず引き延ばす。意図的に能率を落とす。健忘症を原因だとして責任を回避する。不平を言う。他人を責める。憤慨する。不機嫌。敵意や怒りを表に出さない。権威を恐れる。他人からの忠告を受け入れない。などがあります。
受動攻撃性人格障害の人は「他人に制御されることは耐えられない」と考え、他人と競合するような状況を回避し、一人で追求できることに関心を持ちます。
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何のことかと言えば、
男性と女性で、性器の解剖学的構造が違うことから、攻撃性に差が出てくることを
難しく言い換えているのだと考えることができるのです。
男性の攻撃性は、出っ張ったもので、突き破ったり、こする、侵入することで、相手にダメージを与え、支配します。
分かりやすい、平たい、暴力のイメージです。最後には放出します。くっきりと終わります。
女性の場合の攻撃性はそのようにはいきません。
物理的には支配しません。放出もありません。
男性器が勃起するかどうかは男性に主導権があります。
男性次第です。だから支配は男性次第です。
しかし解剖学的構造としては暴力により従順に支配されるだけであるはずの女性器は、
受け入れる直前で策略を巡らすことができることがあります。
刀のさやには作戦があります。支配される側が実は支配するのです。
この男性器と女性器の事情を原型として、そのメタファーとして上の難解な文章を読みます。
ひそかに他人をコントロールする・・・女性器は受け入れる、受け入れないで男性をコントロールします
ひそかに他人を罰することが意図されている・・・女性器は受け入れないことで罰するのです。受け入れるとしても、受け入れ方に違いがあります。真に支配されるわけではありません。
遅延、非能率と不機嫌さ・・・まさにゆるゆるの女性器的反抗です。
本当はしたくない仕事をすると承諾し、次に遠まわしにその仕事が遂行されないような手を打つ。・・・男性器を受け入れると表明し、しかし遠回しに拒絶する。
隠された敵意・・・あからさまな敵意は当然暴力の前にはかなわないわけです。しかし隠された敵意は女性器の側では有効です。刀がさやに収まったら、さこからさやの機能が発揮されます。
責任を持たされることに対して憤慨し、気持ちを率直に表すのではなく行動で示します。・・・責任を持って自分の意志で性交しようとする男性器に対して、反抗します。もともと受動的で自分で性交を開始するイニシアチブを持ちません。
仕事を引き延ばす、能率を落とす、そして健忘症で責任を回避しようとします。・・・女性器的な反抗形態です。
ぐずぐず引き延ばす。意図的に能率を落とす。健忘症を原因だとして責任を回避する。不平を言う。他人を責める。憤慨する。不機嫌。敵意や怒りを表に出さない。権威を恐れる。他人からの忠告を受け入れない。・・・まとめるとこんな感じ。
受動攻撃性人格障害の人は「他人に制御されることは耐えられない」と考え、他人と競合するような状況を回避し、一人で追求できることに関心を持ちます。・・・男性器に支配されることは耐えられない、男性器同士が競合し比較し競争するのとは違い、他の女性器との競合を回避し、優位を保つ。
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この類型が問題となる、つまり事例性として浮かびあがるのは、男性型攻撃性の秩序が支配している世界に
紛れ込んで、異質な原理を行動する場合である。
それを刀に対する刀のさやの抵抗の形なのだとたいていは考えないが
いつものように性的に解釈してみるのがこの分野の人たちなのである。