神田橋双極性2

■うつ病と躁うつ病


その2つを申し上げて話に入りますが、次のことも話しておくといいかもしれません。20年前、私が九大にいて学生さんに話していたときから、ずっとわたしの独断で、うつ病と躁うつ病は全然別の病気、全く違う病気だと教えてきました。今もそう思っています。


うつ病の患者さんには「意志が強い人しか、うつ病になれないのよ」と言うことにしています。意志が強い人しかうつ病にはなれません。どうしてかと言うと、意志が強い人しか、頑張れないからです。意志が弱い人はすぐに「もう、だめ」とか言って、「まいった」となるから、うつ病が完成するほどに脳を酷使することができません。だから患者さんには「うつ病になる能力があったのよ」と言います。まあ大体、それでいいと思っています。


じゃあ脳を酷使すればみんなうつ病になるかと言うと、そんなことはありません。一生懸命に努力して、脳を酷使して、いろいろなことをやって、そして結果が何にもならん、ということになったときにうつ病が起こるような気がするんです。空しさ。私は「徒労感」と言っています。


この間、K先生から聞いたんですが、現在、スーパーローテーションに回っている研修医の4人に1人が、うつ病ないしはうつ病準備状態にあるそうですね。これも労働が過酷だとか、眠る時間があまりないとかいうようなこともあるんでしょうが、でも、それが主たる原因ではないだろうと思うんです。


私はスーパーローテーションを経験している、うちの息子も含めて何人かの研修医に聞いてみましたが、やっぱり徒労感が非常にあるんですね。「一生懸命、努力して頑張っているけれども、これは、実際は何にもならんことじゃないか。自分の技術の進歩のためにも、患者の利益のためにも全然ならないことを、一生懸命やっているような気がしてならない」と。そのことによってうつ状態になっているように思うんです。ま、私の空想です。少数例からの推論です。


それと私が徒労感に弱いものですから、「何にもならんがね」と思ったら、全然する気がありませんので、私は「つまらん」と思うことはしないという点では意志が強いんです。DSMを使わないのもそうです。「しない」という意志が強い人は、あんまりうつ病にならんですね。普通、そんなのは「する意志が弱い」とも言いますが、ええと、なんだったかな、あ、そう、それがうつ病です。


躁うつ病はそうではなくて、これは後で精神療法のときに大事になりますが、もともと気分屋で、気分本位にふわふわ、ひょこひょこ、いろいろとするように生まれついている脳で、波がもともとある。それがある狭いところに閉じこめられると、もともとある波が大きくなってきて、生活に支障があるほどになると、病気ということになると考えると大体、病歴と合います。生活を狭める、注意を狭める、興味野を狭める。そうすると、もともとあった波が大きくなってきます。


後で精神療法のところで話せばいいんですが、ついでですから今、話しておきますが、双極性障害の人の精神療法のコツは、これを本人に言うの。次の標語を言います、「気分屋的に生きれば、気分は安定する」と。


気分屋的に毎日、首尾一貫せずに「あそこのコーヒーはうまいかな。ちょっと寄ってみよう」とかいって飲んで、そのために出勤時間に遅刻したりするような生活をしていれば、躁うつ病の波が安定します。これは確かですから、自分で躁うつ的だと思う方は試してみてください。そういう人は行き当たりばったりで、その日の気分次第で生活するといい。小さな気分屋的生活は大きな波を予防します。


そのためには大事なことが一つあります。気分屋的でいると、引き受けた仕事がちゃんとやり終わらんでしょ。やってる途中で気が変わるから。だから物事をきちんとやり遂げようと思わないこと(会場笑)。「できただけでいいや」というようなつもりになること。躁うつ病の人の精神療法については後で話しますが、中心はまあ、これで終わりです(会場笑)。