文化文明と症状

文化文明と症状には関係がある

表面の症状の奥にあるものを見ていく必要がある
たとえば
水道があるから手洗い強迫が生じるのであって
水道のないところでは別の形を取る
シャワートイレでおしりを洗いすぎる症状も当然シャワートイレが普及してからの症状である
手洗い強迫よりは清潔強迫が普遍的だし
逆にして不潔恐怖のほうがさらに普遍的だ
子どもの遊ぶ「ばい菌鬼」などを考えても
不潔という観念はかなりくっきりとした独立した観念のようだ
そこから考えるとパニック障害の場合に言う
アゴラフォビアではも同じ構造をしていて
安全な空間領域と危険な空間領域が判然と区別される
危険とか不潔とかの観念によって物や事を標識する働き全般に関係している症状である
全く危険ではない場所や人に関して危険と標識をつけることもできるし
全く不潔ではないものに対しても不潔と標識をつけることができる
そのあたりの『任意』の感じが症状の形成に関与している
記号論でよく言われる話である
とすると記号の病のような気もする
治療は記号の意味の付け替えだけでいいのだ
たとえば日本語である言葉を回避している場合など
別の言語では全く問題なく発音したりしているわけで
ものやことに意味を付与する『記号』の働きである
記号の働きが人間になければ
発生しない病気がある
ーー
食料が豊かでないと過食症は成立しない
また嘔吐の習慣が成立するには水洗トイレが必要だと思う
下剤の習慣的使用については当然下剤の安定供給が必要である
過食嘔吐はそのような、いわばインフラ整備が進んだ地域で起こっている
逆にインフラ整備が進めば当然のように起こる
ーー
手洗い強迫にしても過食嘔吐にしても文化文明に依存した症状であって
そのようなインフラがない状態でその人達がどのような症状を呈するものか
あるいは症状は呈しないものか
興味深い
それは実験できるのであるが倫理的問題があるので実験はしない
しかしそれに相当する症状や傾向が昔はあったはずだと思う
だとすれば現代で起こっている現象に名前をつけて呼んでみても正しい把握ではない
ーー
強迫症状が勉強に向かえば偏差値向上するわけだし
強迫症状がダイエットに向かえば徹底した食事管理と運動管理が成功する
強迫症状が対人関係に向かえば支配的な態度になる
強迫症状が仕事に向かえば仕事中毒であるがそのことを悪く言う人はあまりいない
悪く言われないが本人はあまり幸せではない
試みる→脳の報酬回路に刺激発生→快感・満足
という経路で作動していない
強迫回路が作動しているだけなので深い満足とか生きがいとかとは違う領域なのだと思う
セックスに関しても同様で
快感・報酬回路の働くセックスは当然快感である
そして終りが明確にある
しかし強迫回路が働くセックスは、快感がなくて終りがない
ーー
SADに関しては
多分下位分類が細かくできるはずで
SADの下位分類をしていくと
たぶんSAD以外の精神疾患の分類がそっくり成立するのではないかと思われる
入れ子
マトリョーシカ
ーー
SADの治療に関して
1.認知療法、認知の癖に働きかける、フォーカスする
2.ACT、マインドフルネス、アクセプタンス、フォーカスをはずす
3.薬剤の効果と副作用コントロール、治験コーディネータ的かかわり
の3群を作って、調査する
各治療法について標準手続きを定めて実施する
多分、治療法による違いはあまり出ないのではないかと思う
むしろ、下位分類によって違いが出ると思う
つまり、下位分類によって、適した治療法があるのだと思う