金の斧 銀の斧

金の斧 銀の斧 の話をテレビで見かけた

NHKの子供用のキャラクターの歴史をひもとく番組で
お母さんと一緒の三匹の子豚、ブー、フー、ウーや
ジャジャマルなどが紹介されていた。
その中で、金の斧 銀の斧 の話も紹介されていた。

正直者が報われるという話であるが、
そんなのあり得ないと思う人が多いのではないか。

現代は、人間はインセンティブに反応するという第一定理が適用される世界である。

嘘をつかないまでも、ぎりぎりのところで、
私にはその金の斧が自分の斧かどうか自信を持って答えることができませんが、
信頼できる証人に、少なくとも、その斧は自分のものではないとは証明できないことを証明してもらおうと思います。
などと言って証人になってもらえばよいのだろう。
あとで山分け。
アメリカの現代文明は、このような態度を許容しているように思う。

交通事故を起こしても、
絶対に謝るな。
自分が正しいと言い張れ。
あるいは弁護士が到着するまで、何も言うな。
正当な黙秘であると主張しろ。

そんな風になっていて、
素直な正直がいいというスタイルではないようである。

戦略的に自分を守るのが
ただしい現代人だと教えているようである。

嘘をつけとは言わない、
ただ自分を最大限守れと言うことになるのだが、
正直言って、正しい人間ではないと感じる。

戦略的な人間と言うべきか。

こんなことでいいのだろうか。
私はそんな世界に住みたくない。

しかしそんなことを言っていたら
たちまちオオカミに狙われる。

オオカミは現実にいるのだから。

そこできつい感じで自己防衛しないといけないことになる。
それは楽しい世界ではない。

しかしそれだけのコストを支払わなければならない世界になってしまったのだ。

どうしてなんだろう。

金持ちはお金をかけて自分の家の鍵を守る。
それと同じで相互の不信を原理として、不愉快さはあるものの、備えるしかない。
そんな世界。
ばかばかしいことになっている。

多分、他人のものを合法的に搾取して蓄えた財産を守ることは、
心理的にもかなり無理なことで、
他人を悪として認識しないといけないし、
自分をも他人の悪の対象になる存在として規定しなければならない。
人間の本性からは誰もそのようにはしたくないだろうと思う。
しかしそのようにして「心理的不経済」を実行しているのはなぜなのだろう。

理想的なことを言っていたら警察も軍隊もいらないわけだけれど。