わたしは陽性症状と陰性症状の区別をするのは
あまり賛成ではないのだが
実際に患者さんに説明するには便利であるし
分かりやすいようだし
多くの本に書いてあるので
やはりそのように説明する
こちらから説明しなくても患者さんが、そのように読みましたが、
と理解を語り、そこから説明を始めてもいいようだ
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陰性症状は
defect
のことで
ジグソーパズルのピースが失われていると、
そのことを defect というのだと英語の先生から教わった
欠損とかと表現してもいいのだけれど
何だか絶望的な響きがあるので
使わない
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昔からうつ病と統合失調症の区別は
defect が生じるかどうかとも言われていた
うつ病では defect が生じない
それが病理の反映である
しかしそのことは教科書的な話であって
実際には躁うつ病・うつ病を反復していれば精神機能の低下が生じる場合があると古い医者は観察している
そのことを病理ではなくて
躁うつ病・うつ病の時期に社会生活が停止して、その結果、生活史や学習に欠損が生じるからだとの
説明もある
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統合失調症の場合の defect は
たとえば右足を失った場合を考えてみるといいし
躁うつ病・うつ病の defect の生じない事情については
ねんざしたけれどすっかり元に戻ったという場合を考えればいい
失ったものを、あるものとして生活しても不自由なので、
ないことを前提として工夫していこうというのが生活臨床やSSTである
妥当であるがつらい一面も確かにある
右足があるものと思って生きていこうという主義もよく分かるし
その方がいい場合も多くあり
一概にどうとも言えない
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では統合失調症で具体的に何が失われているのかと言えば
まだはっきりしない
場所についても病理についても
はっきりしていない
だから defect が生じるとする、または陰性症状が残る、
または、一番はじめには潜伏的な陰性症状があり、
次にそれに対しての反応として陽性症状が発生し、
それが過ぎ去ると、陰性症状が残るという説明も、
一見分かりやすいようで、疑問はたくさんある
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そのような言い方で言えば、
躁うつ病・うつ病の場合に失われるものもあるのだし、
てんかんの場合にはあきらかに神経細胞群が失われると思う
また性格障害の場合にはあらかじめ失われた成分があるように思う
知能の点でも defect は大いにあるのであって
人間の脳はたくさんの defect を抱えて
それを代償して機能しているのだと言えなくもない
だからあんなにも一見無駄に思える部分があるのだと考えられなくもない
事実、かなりの萎縮があっても、
立派に社会生活を営んで尊敬を集めている人もいる
ある種硬直した人格だから尊敬されるという面もあるかも知れない
こう考えてくると
統合失調症の場合には
代償不可能なある部分が機能欠損しているのだと考えられる
代償可能な部分については
躁うつ病・うつ病で表現されるともいえる
うつ病の診断をした場合でも
うつ病の薬だけではなく
セロトニン、ドパミン、てんかんの薬、その他いろいろを使うことを考えれば
事情は単純ではないらしい。