AERA2009年7月
──いよいよ正社員も、リストラの対象になりつつある。
メンタル不調者をはじめ、弱い立場の人が押し出されていく。
追いつめられる社員と余力がない会社、溝は深まるばかりだ。──
タイミングは最悪だった。
IT企業に勤めるUさん(37、男性)が、うつ病で1カ月間休職し、復帰した昨年9月。会社はちょうどそのころ、事業縮小と経営統合に揺れていた。
復帰した日、社長と役員との面談でこう切り出された。
「あなたが休んでいたこの1カ月で会社の事情が変わってしまった。申し訳ないが……」
提示された内容に愕然とした。賃金をUさんが入社した当時の水準に減額。身分も社員から契約社員に変更するという。
何より気力を萎えさせたのは、
「業務は従来通り」
という通告だった。人が足りないのが理由だ。休職前に「配置換えをして業務量を減らす」と言っていた総務担当者の言葉は口約束に過ぎなかった。
■恐怖感から思考停止に
制作業務をしながら、派遣やバイトなどさまざまな雇用体系の若手数十名を束ねる人材管理も兼任していた。役員を除いて唯一の管理職扱い。いわば「一人マネジャー」だった。過酷な労働条件で働く部下たちの「悩み相談所」として話に耳を傾けた。人手が足りず手薄になった仕事をカバーし、土日、深夜を問わず、会社に出ていた。
うつ病を発症してからは不眠が続き、電車にも乗れず、何度も自殺願望に駆られた。
「あの生活に戻れば、またつぶれる……」
恐怖感からほとんど思考停止に陥り、何を言われても、
「はい」
と機械的に返事をしていた。結局、契約切れとともに年初に退職した。
「契約が切れれば『この仕事から逃げられて助かる』とさえ考えてしまった。不況とはいえ、復職時を狙い撃ちするようなやり方は、理不尽です」(Uさん)
正社員のリストラが加速するなか、うつ病を抱えながら働く人を解雇したり、自己都合退職に追い込む「うつ切り」が横行している。
この春、人事コンサル会社「ベクトル」(千代田区)が、ある大企業からリストラによる再就職支援を請け負った。対象者100人のうち、5割が休職明けや通院中のメンタル不調者。その会社は500人を超すリストラを進めていた。
■「年明け、地獄を見るぞ」
会社指定の再就職支援サービスから本人が選ぶ。ベクトルは精神疾患を抱える人への転職支援も行うため、メンタル不調者が選びやすい。それにしても、これほど多いとは……。
卜部憲社長によれば、大企業では予備軍も含めて5~8%のメンタル不調者を抱えているという。
「従来は雇用調整の対象外だったのが、不況で一律に彼らも含めるようになってしまった」
成果主義を敷く欧米系外資の場合は、追い込み方も強烈だ。
日本IBMのシステムエンジニアSさん(40代男性)は、昨年末、約1000人が早期退職したと報じられた大リストラの渦中にあった。
10月から、毎週のように上司に呼び出されて面談し、
「年が明けたら地獄を見るぞ」
「未来永劫あなたの評価は上がらない」
などと脅された。
うつ病で数カ月間の傷病休暇を経て、職場に復帰した。専業主婦の妻と2人の子もいて簡単には辞められない。だが身近な上司による「恐喝まがいの退職勧奨」は、さすがにこたえた。
■辞めるまで追及する
12月上旬までの計5回の面談のうち、途中で意識を失って打ち切りになったこともあった。それでも「辞めるまで追及する」という上司の姿勢は変わらず、
「病気から復帰して、仕事ができるかわからんやつは、いらない!」
とまで言われた。
Sさんはうつ病が再発してしまった。以前、夜中に包丁を持ち出して自殺を図った時の光景が、頭をよぎる。
「死ぬ思いで病気を克服したのに、なぜこんな目にあわねばならないのか。さらに病気で転職も難しいとなったら……」
日本IBM社員で同労組東京分会書記長でもある田中純さん(39)によれば、今回標的になったのは、職務評価が下から15%の社員で、各部門の上司による「恣意的」な相対評価がベースになっていたことが問題だという。
「中には、健康上の問題を抱えた人や身体障害者、産休・育休中の人も含まれていた。経常利益が十分上がっていながら、このように働く人を不安にさらす会社は、社会的責任を果たしているとは言えない」(田中さん)
これに対し、IBM広報ではこう説明する。
「あくまで社員のキャリア選択を拡大するために実施したもの。メンタル不調などの事由により異なる対応はしておりません」
■「マニュアル人事」に怒り
「不況便乗型」に加え、会社ごとの就業規則で定められた休職期間満了に伴う解雇、いわゆる「満了待ち」も多い。
機械メーカーに勤めていたWさん(40、女性)は、満了まで半年を切った昨年9月から、焦燥感に駆られていた。
異動のため、長期にわたり遠距離通勤を強いられていた。うつと診断されて傷病休暇をとったが、期限の1年半が過ぎ、無給休暇扱いになっていた。
軽い抗うつ剤と精神安定剤などを4錠ほど飲めば、ある程度症状を抑えられるところまで回復していたものの、2時間近い通勤と家庭との両立がネックになり、復帰に踏み切れずにいた。
10月になり、Wさんの状況確認のため、喫茶店で面談した人事部長は、人事関連のマニュアルをめくりながら話をした。
「馬鹿にしている!」
と、怒りがこみ上げた。
家に近い部署に戻って復帰したいと何度も打診したが、そのたびに拒否された。
「もう、私に辞めてほしいんだ」
ひしひしと感じた。
会社の業績悪化も復帰を阻む。同世代の女性社員は半分以上が退社し、残った数人もパートになったと知った。長く休んでいた立場としては戻りにくい。とはいえ派遣切りが進むいま、しがみついてでも社員の座を守った方がいいのか……。
2月に解雇通告の封書を受け取るその日まで、葛藤は続いた。
逆に復帰を急ぐ傾向もある。
最近リストラを行ったある大手電機メーカーでは、今年2月頃から、うつ病で休職中の人が続々と「職場復帰支援プログラム」の申請をし始めた。その様子に、産業医療に携わる女性は危うさを感じたという。
「実は焦って職場に戻った方が不利になることもあるんです。業務がこなせなければ、低い評価をつけて退職に持ち込めると人事は考えます。会社に余力がなくなった今、私たちも、職場に戻して難
しければ、円満に辞めていただく方向にレールを敷かざるを得ない状況です」
労使双方に緊張感が高まる中、今年5月に出た労災判決が、注目を集めた。
■解雇「無効」の判決獲得
訴えていたのは、東芝の技術者で、休職期間満了後の04年に解雇された重光由美さん(43)。過酷な勤務でうつ病になったのに、労災と認めなかったのは不当として、国に療養給付などの支給を求めていた。今回、東京地裁は労災と認めた。
重光さんは昨年4月、東芝との民事裁判でも勝訴した。この時、業務に起因する精神疾患を理由にした解雇は「無効」だと、司法の場で初めて認められた。
労災申請から4年8カ月。重光さんは言う。
「収入もなく、経済的にも精神的にも不安定な状態で裁判を続けてきました。勝訴は一つの突破口かもしれませんが、その負担はあまりにも大きい。こんな思いをしないよう、企業は働く人が病気になる手前の予防対策にもっと力を入れてほしいです」