自己観察意識過剰について

意識をコントロールするための意識を考える

それは自意識でもなくて
自意識を含めた【『自意識』+『他意識』】を観察して予測して恥じたり得意になったりしている部分であ。
『自己観察意識』と名付ける。
普通の日本語でいう自意識過剰の場合の自意識に近い
これは正確に言うと『自己観察意識過剰』である
私の言葉の定義は特殊なのだが
他意識というものは、刺激に対して自動機械のように反応している部分である
刺激-反応系で考えられるものでその中間にあり経験を蓄えて制御している
私の言う自己意識というものは「仮にこのような刺激があったとしてどのように反応するだろうか、その場合の結果はどうだろうか」
とシミュレーションする部分である
仮想的な刺激に対してのシミュレーションもできるし
シミュレーションのしかたも幾通りも可能性を試行することができる
他意識と自己意識が一致している状態が健康な意識である
ずれる場合に自意識の障害が発生する
強迫症とかさせられ体験とかが典型的で幻聴はこの系統である
幻視はこの系統ではない
一般に妄想幻覚状態と言うが的はずれな言い方であると思う
統合失調症の場合は主に意識の能動感を問題にすることがポイントであると思う
さて、このように一連の【『自意識』+『他意識』】の動きの全体を見ている意識があって
それは自己意識とは少し違うもので「自己観察意識」ではないかと思う
病気の中には「他意識」には特に問題はなく「自己意識」にも特に問題はなく
しかし「自己観察意識」に問題があるという場合がある
SADの場合の問題は他意識にも自己意識にもないのであって
自己観察意識に問題がある
ときどき緊急事態があり、自己観察意識を一時停止したりする
すると字は震えないし、みんなの前で声が震えないで話ができる。
緊急事態ではなくて、自己観察意識が働いている状態だと、
集団の中の自分の状態をモニターする
たいていは何かの過剰があって、SADが発生する
結婚式の署名で字が震えるのは意外でも何でもなくて
自分の場合にはいつも震えるというだけのことで
予測可能な事態である
だからそのことは他意識や自己意識のレベルでは問題はない
震えるだろうという予測があって、そのとおりに震えるのである
そのメタレベルの意識である自己観察意識では
『震えてはいけない』という考えがあるので震えをコントロールしようとする
するとますます震える
ここに悪循環が発生して一種の病気になる
震えると意識しているのは自己観察意識であるし
それを制御しようとするのも自己観察意識である
他意識と自己意識はどうせ震えると予測している
従って、自己観察意識を消去してしまえというのも治療の一つである
震えても目的が達成で決めばそれでいい
また逆に自己観察意識をさらにメタレベルで観察して
『震えているが、それはそれだけのことで、特に恐怖することでもないし、
体のどこかに力を入れることで解決されることでもない』
『解決するにはむしろ理屈のとおりに体の力を抜くことなのだ』
とメタレベルで知ることである。
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このように
意識の階層を分けて、どの部分に働きかけるかをよく考えて治療することが大切である。
不安と予期不安はレベルが一段違っている
強迫症とその対処行動の固定化はレベルが一段違っている