文学的なもの さらけ出す

先日NHKテレビで大阪の文学教室の話を見かけた

文学を信仰しているとでもいうような感じを受けた

これは一種の表出訓練か
ドラマセラピーか
テレビカメラが入ったせいでこのような盛り上がりを見せているのか

たしかに芸術とかそんな系統のものには
感情の強度を強める方向のものと
技法を洗練する方向のものとがあると思う

現代芸術と工芸の対比と言えばよいだろうか

自分をさらけ出すことにどれだけの文学的な意味があるのか門外漢にはよく分からないが
その番組では自分の体験と向き合えとか自分をさらけ出せとかそんな言葉が出ていたように思う

恐ろしいことを言うものだと思って聞いていた
露出趣味は恐ろしい
出したら引っ込められなくなることもある
そっとしまっておくのがいいこともたくさんあると思う

一般化して言えば
自己愛の処理の仕方だと思う
できれば洗練された仕方で処理していきたいものだ

裸を見たい・きれいだと思う人と
そうでもない人とがいるのだろう
人生の中でそのような時期があるのだろう

自己愛の強度を強めることは全然文学的ではないと思う

私はどちらかと言えば工芸作品の方が好きだから
こんな風に思うのかもしれない
辻邦生とか堀江敏幸とか
工芸的洗練