フリードマンは国家は私有コミュニティで代用できるとする
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完全な自由社会に対する反論でよく見られるものの一つは、道路・歩道といった公共設備の供給や、夜間大音響で音楽を楽しみたい私とベッドで眠りたい隣人との利害衝突といった外部性問題の解決には政府の介入が必要であるというものである。そしてそれに対するリバタリアンの反論で時折見られるものの一つは、このような問題の大部分は私有コミュニティによって解決されるというものである。集合住宅を供給する住宅開発会社は道路や歩道も作る。家を購入する人は公共設備を使用する権利とそれを保全してもらう権利を得る。購入者はあらかじめ設定された算出方式に従って公共設備の維持費用を分担することに同意する。
そのような私的な解決は実際によく見られるものであるが、それは外部性についてもうまく対処している。私の同僚がよく言っていたものである。自分の住む(私有)コミュニティでは近所の許可なしにドアの色も変えられないんだよと。それは契約条項の一つだったのだ。マンションというのは一つの建物に全住人が入るというだけで本質的に私有コミュニティと同じだが、その契約には隣の部屋に不当なコストを負わせる行為に関連したトラブル解決ルールが含まれているだろう。またどのような私有コミュニティにおいても、新しい状況に対処するために契約の当事者たちがそれを修正できるということは多いはずだ。
こういう私的な制度は興味深い問題を提起する。どういう意味でそれらは政府でないのか?知人のイギリス人はマンションの共同管理組合と地方自治体は本質的に同じだと言っていた。それらはいずれにしても彼がある特定の場所、つまり地方自治体の中のマンションの一室に住むという行為に対して何かしらの権威をもつ。どちらの団体も彼にルールを課す。またどちらも彼に「課税」する。(マンションがその管理費を税金と呼ぶことはないが。)どちらもルールと税金を民主主義的方法で課す。(一方は市民の投票で、もう一方はマンション住民の投票で。)ではマンションの共同管理組合が一連の問題のよい解決法だとして、いったいそれはどういう意味で私的な解決と言うのか?別の言い方をすると、そのような制度がマンション共同管理組合あるいは私有コミュニティと呼ばれるときはリバタリアンは是認するのに、なぜそれが政府と呼ばれるときは認めないのか?
この問題に対する一つの答えはリバタリアンの自然権の議論から出てくる。つまり私有コミュニティは政府と違って他人の権利を侵害することなしに存在している。住宅開発会社はまず土地をそれらの所有者から買い、政府的な制限が契約に含まれていることに同意した購入者だけに売る。一方、地方政府が存在するのは、過去のある時点において住民の多数派(場合によってはその場所が立地する国の多数派)がそれを作ることを決めたからである。同意していようといまいと、それら多数派がそこへ住んでいるすべての人間に自分たちのルールを課す。
この答えは妥当なものである。だがそれは多くの非リバタリアンを納得させるものとは思えないし、私にとってもおもしろい答えではない。この小論の目的は別の答えを提供するものであり、それは権利に対する特定の見方に依存しない。「政府的な」制度があったとして、なぜその存在の仕方が問題になるかということについてはもっと実用的なよい理由がある。そしてこれはその過程で誰かの権利が侵害されるかどうかといった話とはまったく関係がない。
地方政府を作ったり改革したりする政治も似たようなものだと思うかもしれない。有権者も結局のところ魅力的な制度のもとで暮らしたいし、したがって新しい地方政府を作ったり古い地方政府を改革したりする政治的企業家も魅力的な制度を作ろうというインセンティブがある。これはある程度まで真実である。だがそのインセンティブは私有コミュニティの場合に比べればずっと小さい。民主主義がその機能性で資本主義にとうてい及ばないのには理由がある。
一つは有権者個人に、提案された政治的変化が実際彼の利益になるかどうかということを知ろうとするインセンティブがほとんどないことである。実際に起こることについて彼の一票は小さい影響力しかもたないからだ。一方、コミュニティの購入者個人は家を買うか買わないかということで「投票」する。彼が反対票を投じるなら、ある特定の制度のセットのもとで彼が暮らすことはない。彼が賛成票を投じるなら、家を買う前にその制度を調べてみる強いインセンティブがある。少なくともその住宅開発会社が以前に販売したコミュニティについて、現在における資産価値と公共設備のコンディションをきちんと調べようとするだろう。
政府の最も重要な特徴の一つはそのサイズである。平均的なアメリカ人は、少なくとも何万人おそらくは何十万人もの市民が暮らす自治体に住んでいる。一方、マンションあるいは私有コミュニティの平均的な住人はだいたい100人程度の「私的政府」のもとで暮らしている。このことはけっして偶然ではないだろう。