双極II 型障害という病態と現代人の人格変容との関連 牛島定信
これまで,情緒的不安定,抑うつ,自傷行為,過量服薬,その他の行動化があれば,境界性人格障害(borderline personality disorder,BPD)として対応しておれば問題はなかった。ところが,この5 年ほど,その周辺がにわかに騒々しくなった感がある。
BPD と診断されている患者に,かつてのBPD のもつ雰囲気を欠いたところがあって,戸惑いを感じることが多くなった。つまるところ,初期の統合失調症,Asperger 症候群を始めとした発達障害,そして非常に非定型な感情障害といったところに落ち着いたが,その結果,今日では情緒的不安定,自傷行為といった症状は疾患特異性を失い,内的な心理的困難の一表現型でしかなくなったという認識となった1)。問題は,むしろ背後の人格傾向となったようにみえる。
BPD を専門とする立場から論じようとする筆者からみると,気分障害がBPD の領域に入り込んできたのは,双極II 型障害(bipolar II disorder,BP II)が初めてではない。最初,BPD が統合失調症と神経症の境界領域の病態として認識されたことは周知のとおりであるが,1980 年代になされた境界例の三つの大きな予後調査で2.5),BPD はむしろうつ病の長期経過に近かったという結果から,BPD はうつ病に近接した病態であるとの見解が示されたことがある。それを受けて,BPD は基底のうつ病を人格全体で防衛したものだという見方まで出たことがある。しかしながら,その後に積み重ねられたさまざまな研究のなかで,抑うつ感のあり様が大うつ病とBPD とでは異なり(表1)BPD の抑うつは抗うつ薬に反応しないという結果7)から,大うつ病の抑うつとは異質のものではないかということで決着がついたかにみえる8,9)。
しかしながら,生物学的精神医学からは,BPD を基盤にした大うつ病の発生率は比較的高いとされ,それを目標にした抗うつ薬による治療は必須だとする考えは,今日にまで根強く続いている。さらに,それとは独立に,Akiskal 10,11)を中心に,BPD と紛らわしい非定型な双極性障害が,予想を超えて多く臨床現場でみられ,診断的に紛らわしい病態が少なくないという指摘がなされるようになったことである12)。この線上で,両者が重複するという見方もまたあるが13),ここでは両者はそれぞれに独立した病態であるという一般的立場14,15)で話を進めることにする。
双極II 型障害の臨床的問題
Akiskal によると,以下の如くである。Kraepelin が1921 年に躁うつ病を概念化したとき,すでに,経過のなかでしばしば軽躁エピソードが混在していることを指摘しているにもかかわらず,臨床的には注目されなかった。しかし,注意をしてみていると,気分の動揺のかたちよりも,精神運動,対人関係,職業の面で問題を呈し,さらには薬物乱用のかたちで認められる異常があるとして,診断・治療を進めるうえで注意を喚起している。
そのなかで,Akiskal は,境界性,不安定性,ヒステリー性人格障害と診断された症例のなかに非定型双極障害(BP II)が少なからずあることを述べ,それらには,繰り返される結婚と離婚,あるいは恋愛関係,時には性的放逸,アルコールや薬物乱用,仕事ないしは学業にみるムラ,住居の定まらなさなどがあり,加えて,一般に爽快感や野心的な社会活動で特徴づけられる躁気分のなかで,不機嫌や焦燥感を前面に出す軽躁が見落とされやすいことを指摘している。また,わが国では広瀬がすでに1977 年に本病態とおぼしき「逃避型抑うつ」を記載しているが16),注目を引くことはなかった17)。
長いあいだ注目されなかったのは,なぜか。BP IIが注意を引いているのはここ5,6 年である。筆者の考えでは,BPD と同じく,時代的影響を考えておかねばならないように思う。従来の倫理観からすると,余程の人格的問題がない限り,前記のような問題行動を呈する患者はそう簡単に出てこなかった。
しかし,この10 年ばかりのあいだに男女問題でも家庭問題でも一般社会の対人関係でも罪意識,規範意識が目に見えて希薄化し,人格の変容を考えざるをえない事態を迎えている18)。それが精神医学的状況に少なからず影を落としているのではないか。
つまり,BPD のような神経質領域の未熟化だけではなしに,古典的な循環気質もまた時代の影響を受けており,それが特有の社会的破綻を伴ったBP II の増加をもたらしている可能性はないかと考えられるのである。
というのは,筆者の観察によると,対人関係を作り,人の世話を焼き,社会的活動を仕掛ける上手さをもっていた従来の循環気質に比べて,BP II 患者はそうした高い社会性を欠いているという印象が強いのである。内海の単極型の気分障害が存在しうるかという疑問17),つまり大うつ病と考えられていた病態も詳しくみると躁的要因がみられる可能性も,またこの人格的な変化と何らかの関連があるのではないかとさえ思われる。
BPD とBP II の基本的な違いは,対象関係が部分的か全体的かということにある。
DSM.IV 診断基準による両者の鑑別点を表2 に示す19)。BP II は,「社交的,善良,情味が深い,親しみやすい」を特徴とする循環気質を基盤にした全体対象関係的人格である。それだけに,人当たりは軟らかで温かみがあり,一体化願望に基づいた対象希求を根底にした,相手との同調的関係を特徴とし,BPD のように葛藤を伴わないのが普通である。
それに対して,BPD は,状況には俊敏に反応するが,傷つきやすく,低い自己評価(劣等意識)をもちやすい神経質者をさらに過敏にした感じの人格で,ともすれば「見捨てられ不安」を浮上させやすい。それだけに,人当たりは緊張,警戒の色を伴った緊迫感に彩られていて,リラックスしているようにみえても治療者の心は休まらない。そして,関係のもち方も,同調的なBP II と違って,対象支配的であり操縦的である。その根底には見捨てられ不安があることはよく指摘されている。一部に,問題行動を起こすような退行状態では,BP II もBPD と同じく部分対象的で,BPD のDSM.IV 診断基準である「見捨てられることに対する気違いじみた努力」が等しく認められるという記載20)を見受けるが,それは治療者の逆転移(慌てたり,戸惑ったりした心理)に由来するもので,BP II の対象希求的な態度を「見捨てられ不安」と見誤っているにすぎない。
DSM.IV 診断基準にあげられている「見捨てられ不安(抑うつ)」は,Masterson 21)に由来するもので,抑うつ,怒り,恐怖,罪意識,頼りなさ,空虚感などが未分化のままに出てくる感情で,怒りながら泣いているといった光景のなかにみられ,BP II 患者でみられることはまずない。
さらに,状況判断,人物像の描写に関しては,BP IIのほうは全体対象的であるだけに,より客観的把握が可能であり,BPD では一方的で主観的になりやすい。
DSM 診断で,診断基準理想化と見下げの両極端の対象関係を発展させるとされる部分である。これと関連して神田橋22)は,「BP II の患者は人物描写をさせると実に的確な描写をする」としている。循環気質者が現実主義者で内省より外界の観察を得意とすることは周知のとおりで,うまい指摘であると思うが,「実に的確な描写」は少々行きすぎの感じがしてならない。
自傷行為などを前にした治療者が慌てずに患者を観察していると,結構,客観的に大人的な状況判断をしているのがわかるといった程度のものである。さらに,BPD でみられる「不適切な怒りの突出」については,躁病では行動制止を受けたときの怒りの突出はあるが,BP II ではまずないように思う。
最後に,同一性葛藤の問題がある。BPD では自己像,職業その他で変転しやすいことがあげられている。この点,BP II でも性的放逸,社会的放埓といわれるくらいに男女関係,職業選択が転々としやすいが,BP IIではそうした行為に葛藤を伴わないのが普通である。その点,BPD では葛藤に富むことが一般的である。
薬物療法に関しては専門家の発言23)をまちたいが,精神療法的配慮について,ひと言,述べておきたい。それは,BP II の診断がつき,薬物療法に簡単な生活指導的援助がなされると,いかにも治療がスムーズに進むかのような記載が多いからである。確かに誤診が治療をあらぬ方向に導くだけに,診断の重要性は否定すべくもないが,BP II の治療にもそれなりの工夫が必要のような気がしている。それは,前述したとおりBP II の循環気質には,躁病を生み出す循環気質に比べて,社会性の発達に,いま一つの問題点があることである。そのため,きちんとした職業生活の枠組みに適応できずに,軽躁を機会に性的放逸,社会的放埓を来たしていると考えられる。
たとえば,解離性同一性障害を呈していたA 子(26歳)は医科系の学生を辞めたとき,BP II であることが判明する一方で,一般的な社会生活が可能になった。また,BP II と診断された看護師のB 子は,職場での人間関係での対応のあり方をいろいろ指導するうちに,看護師の仕事を続け,性的放逸や仕事面での放埓から解放されるようになった。
BPD の同一性形成ほどの深刻さはないが,できあがった循環気質者よりも社会的に子どもっぽい一面のあることに留意し,それを支え続けることが必要のような気がしている。情緒的一体感を得ることができずに,不適応を起こしているかのような感があるのである。
BPD と誤診されがちな病態が最近になって増えたことを述べ,そのなかで,BP II が重要になってきていることを指摘した。その後,BPD の気分障害との関連を歴史的にたどった後,Akiskal に始まるBP II の臨床像を概観した。そして,最近のこの病態の増加は,現代人の人格の変容と関連している可能性のあることを論じた。そして,BPD とBP II は本質的に異質の病態であるとの視点から,両者の鑑別を考えた。
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