レディオヘッド ユーザーが買いたいと思った価格でダウンロード購入できる

レディオヘッドを聴けばわかる音楽業界・ダウンロード違法化論の不誠実

 英国の人気ロックバンドレディオヘッドの新アルバム「In Rainbows(イン・レインボウズ)」が12月3日から日本でも、ユーザーが買いたいと思った価格でダウンロード購入できるようになる。この試みが音楽業界にどのような変革をもたらすのか。その意味を考えるとともに、あわせて岸博幸氏がIT PLUS連載コラムで展開した筆者の活動に対する批判に反論する。(IT・音楽ジャーナリスト 津田大介)

 11月26日、ホステス・エンタテインメント(東京・目黒)は世界的な人気を誇る英国のロックバンドレディオヘッドのニューアルバム「In Rainbows(イン・レインボウズ)」をユーザーが自由な価格でダウンロード購入できるウェブサイトを12月3日正午より開始すると発表した。これは、今年10月1日にレディオヘッドが自分たちの公式サイトで先行して実施し、音楽業界を震撼させていた試みだ。超一流のミュージシャンがレコード会社を捨て、自由価格制のダウンロードに移行したというこのニュースは、音楽業界のみならず、コンテンツ業界に携わる多くの人に驚きを持って迎えられた。

■買い手が価格を決める新手法が成功

 レディオヘッドによるこの試みの何が凄かったのか。それはひとえにアーティストがレコード会社から完全に独立して「食べて」いくためのビジネスモデルを構築しようとしているところにある。

 「In Rainbows」はダウンロードだけでなく、後日CDの形態でも発売されることが決定している。つまりこれは音楽配信(ダウンロード)による先行販売ということだ。この試み自体はiTunes Storeなどでもよく見られ、特段珍しい話ではない。「In Rainbows」が画期的だったのは、購入者がダウンロード時に自分で好きな価格を付けられるところにある。しかも、ユーザーが望めばお金を払わず「無料」でアルバムをダウンロードすることもできるのだ。このアルバムこそ、本当の意味の「オープン価格」であると言えるだろう。

レディオヘッドの「In Rainbows」のダウンロードサイト
 
 英国でダウンロードサイトがオープンした際、筆者も6ポンド(約1400円)払ってアルバムを購入してみた。クレジットカードによる決済終了後、ZIP形式で圧縮されたファイルへのリンクが示され、ダウンロードできるようになるシステムだった。ダウンロードしたZIPファイルを解凍すると、160KbpsのMP3ファイルが10曲入っていた。近年のエレクトロニカ路線と以前のバンドサウンド路線が適度にミックスされた(第一印象は地味ではあるが)完成度の高いアルバムになっており、これまでと同じく緻密なスタジオ作業を経た上で完成したものであることは疑いがない。レディオヘッドによれば、今回のアルバム制作にはレコード会社は一切関与させず、自分たちの費用でレコーディングを行ったそうだ。

 多くの人が気になっているのは「実際にこの試みでバンドがどれだけ潤ったのか」というところだろう。この件についてレディオヘッドのマネージャーがBillboard.comのインタビューに答えた話や、調査会社のコムストアが発表したデータを総合すると、有料でダウンロードしたのは30万~50万人程度。有料で購入した人の平均購入価格は全世界で6ドル(約660円)前後ということが分かっている。これは、バンド側にはおよそ2億~3億円の収入が入ったということだ。

 デジタル制作が中心になり、レコーディングコストが激減した現在、アルバムの制作費は安く上げようと思えば数百万、高くとも1000万~2000万円程度と言われている。サイトの構築費用やサーバーの維持費などを考慮しても、ダウンロード売り上げの「粗利」が少なくとも1億円程度発生していることは確実だ。

 このアルバムをメジャーのレコード会社を通してCDで販売した場合、さまざまなコストや流通経費が差し引かれ、彼らの手元には売り上げの数%しか残らない。当たり前の話だが、自分たちで創った音楽をユーザーに直接販売するというのは、それだけ利益率が高くなるということなのだ。

 今回の事例で非常に興味深いのは、ダウンロード販売という形態を、CDの販売で補完しようとしているところだ。「In Rainbows」は年末から年明けにかけて、CDでも販売される。しかし、ここでもメジャーのレコード会社は関与していない。「In Rainbows」のCDは世界各国で販売されるが、それらの販売流通はメジャーレーベルを通すのではなく、レディオヘッド側がその国ごとに条件の良いインディーレーベルと直接契約してリリースする形態を取っているのだ(日本の場合、世界中の有名なインディーレーベルと提携し、新世代の洋楽プラットフォームとして認知度を高めているホステス・エンタテインメントと契約した)。

 さらに自分たちの公式サイトでは、通常のアルバムではなく「DISCBOX」と呼ばれるコアファン向けの商品も販売する。DISCBOXはアルバムのCDと、2枚組の12インチLPが付属し、CDにはエクストラトラックとしてボーナストラックと、デジタル写真集とアートワーク画像が付属。それに加えて通常のアートワークと歌詞のブックレットが付属し、40ポンド(約9400円)という価格で販売される。

 通常のアルバムとして見れば高価だが、バンドへの忠誠度が高いファンにとっては、このように付加価値の高い商品が発売されることは「願ったり叶ったり」という部分がある。音源そのものを手軽に聴きたい人にはダウンロードや通常盤のCDという手段を提供し、ロイヤルティーの高いファンには付加価値の高いDISCBOXを提供する。多くのファンを抱える大物アーティストしか取れない手法ではあるが、ファン層に合わせたマーケティングという意味で、ユニークな事例と言えそうだ。

■無料ダウンロードは「プロモーション費用」

 ここでポイントになってくるのは、彼らがダウンロード販売において「無料」のダウンロードを認めたということだ。従来はコストを払って行わなければならない「プロモーション」をユーザー任せのオープン価格にすることで「プロモーションなのに収入が得られる」という仕組みを作り、なおかつ幅広い層に新しいアルバムを聴かせる機会を与えたのである。

 数カ月後にはCDで販売されるというのも心憎い。ダウンロードした音源では飽き足らず高品質のパッケージ商品が欲しいという人が出てきたら、あとでパッケージを買わせることもできるからだ。ダウンロード版の音源をCDと比べて微妙に音質が劣る160KbpsのMP3にしたあたりからも、バンドの意図は明確に伺える。実に計算し尽くされたモデルと言えるのではないか。

 従来のレコードビジネスは一度音楽を売ったら、それ以降収入機会は存在しなかった。ここが「映画館における上映→有料放送→DVD→地上波」という複数の収入機会が存在する映画産業と最も異なる点だ。今回のレディオヘッドの試みの本質は、半分プロモーションに近い「バラマキ型ダウンロード」で数億円の収入を得たうえで、メジャーを通さないことで利益率が高くなったCD販売でも儲けることができるということなのだ。つまりこれは、レコードビジネスに複数の収入機会を与える方法論を実証したということ。これが今後の音楽ビジネスに与えた示唆は少なくない。

 こうしたレディオヘッドの新しい試みには、賛同するアーティストも多い。英テレグラフ紙は、オアシス、ジャミロクアイ、マッドネス、シャーラタンズといった、大物アーティストたちがネット配信をベースに据えた新しいビジネス活動を開始する見込みという記事を掲載している。なかでもシャーラタンズは、英国のラジオ局「XFM」と契約し、08年の初頭に発表するニューアルバムを「無料」でダウンロードさせることを発表した。

 彼らのビジネスモデルはレディオヘッドと比べると非常にシンプル。無料でアルバムを配ることで多くの人に作品に触れてもらい、ライブの興行収入やグッズ販売などのマーチャンダイズを活性化させて収入を得るということだ。この手法は今年7月、英国で新聞の「おまけ」としてニューアルバムを配布し、大規模なライブ公演を成功させたプリンスのやり方とほぼ同じだ。

 また、レディオヘッドの方法論を踏襲しつつ、新たな試みを始めるアーティストも出てきた。米国のラッパー、ソウル・ウィリアムズだ。彼はニューアルバムの発売に際し、ユーザーに無料でダウンロードするか、5ドルで購入するかを選択可能にした。ここまではレディオヘッドとほぼ同じだが、こちらの場合、同じダウンロードでも無料バージョンは音質が悪く、有料で購入したバージョンは音質が良いという「差」を付けたのだ。

 このユニークなアイデアを考えたのは、アルバムをプロデュースしたトレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ)だ。トレント・レズナーはかねてよりメジャーレコード会社に対する嫌悪感を表明しており、メジャーレコード会社との契約が切れた今年7月以降、特定のレーベルとは契約せず、音楽配信などを中心とする新しいビジネスモデルに移行することを発表している。

■「自立」目指すアーティスト・問われるレーベルの役割

 レコード会社に求められる役割とは、ざっくりと言ってしまえば「ファイナンス(アルバム制作費を負担する)」と「プロモーション(作った作品を広告宣伝する)」という2種類しかない。ファイナンスについて言えば、シャーラタンズやプリンスのようにレコード会社以外が負担するという方法もあれば、レディオヘッドのように自前で全部負担するということもできるようになった。

 先に触れたように、近年はレコーディング機材の進化によりアルバムの制作コストが大幅に安くなっている。他業種が参入することも、アーティストが自分で制作費を賄うことも以前と比べれば容易にできるのだ。もう1つのプロモーションについても、米MySpace(マイスペース)の隆盛を見れば明らかだが、従来型のメディアに頼らずインターネットというインフラを利用することで、ほぼゼロに近いコストである程度まではプロモーション活動が行えるようになったと考えるのが自然だろう。

 もちろん、これらの環境変化がすぐにメジャーレコード会社が作り上げたシステムを崩壊させるというわけではない。現実の音楽ビジネスは、制作とプロモーション以外にも付随する業務が非常に多く(新人育成などもこの類だろう)、それらをレコード会社や事務所が肩代わりすることでアーティストが作品づくりに集中できるという構造があるからだ。しかし、そうした煩雑な部分も含めてアーティストが自分たちでマネジメントするようになったとき、本当の意味でレコード会社は必要なくなるのである。このことをレコード会社の「中の人」は、どれだけ切実に理解しているのだろうか。

 もはや一部のアーティストのレコード会社への不信感は止めようもないところまで来た。レディオヘッドが起こした静かな革命は、今後確実にほかのアーティストの意識も変革し、レコード会社から精神的・経済的に脱却するアーティストを増やしていくだろう。