貧しいひとも努力すれば救われるとはみんな漠然と思っていることらしい
もちろん、出発点が同じで、頭の程度も同じくらいなら、努力した方が報われるのだけれど、その前提は途方もなく非現実的である。
努力を測定する方法がないことは皆さんご存じだろう。(生まれついて持って生まれたもの)+(努力) の合計が評価されるのであって、その中身については、たいていよく分からないから、残念ながら、成果物で評価するしか方法がない。
学校の先生だって、よく頑張っている素直な子はかわいい。でも、それと、成果物の評価は別のものである。
わたしも友達になるならよく努力する素直な子がいい。
仕事になれば、部下や同僚をかばうことにも限界がある。同僚の一人を周囲はやさしく見守っているとして、またその人の努力を評価しているとして、ライバル会社との競争になれば、そんなわけにもいかないだろう。
その方法としては、会社の成長をあらかじめ限定し、ライバルも、強いところはライバルとしないで、静かにこっそりと仕事をすることだけれど、そんなことができるのも、景気のいいうちである。
倒産が続くようになると、そんなことも言っていられなくなる。さて、どうしたものか。
みんなで沈没するか、成果の上がらない人に我慢してもらうか。
ーー努力しないで、素直でない子を知っているが、その人はこれからどうするつもりなのだろうか。
尋ねる理由もないので尋ねないが。遠くから見ているしかない。