小此木啓吾のシゾイド人間論では、人と人との間が希薄になり、お互いに表面的に同調し合うことで、対立や争いを避け、やさしくしかし冷たく関わり合う対人関係様式を指摘している。
自分本位のパーソナルな自己愛をひたすら大切にし、自分の自己愛を傷つけられたくないし、他人の自己愛を傷つけたくないと注意しながら生きている。
自分が他人の自己愛を尊重することと、他人に自分の自己愛を尊重してもらうことは、確かな価値観になっている。
うぬぼれを傷つけてはいけないことになっている。傷つけられたらうつになってもいいことになっている。一種の抗議の様式かもしれない。
うぬぼれを共有する集団、自己愛を共有する集団がある。共有する自己愛のために団結している。その人たちが集団で、自己愛の傷付きにたいして抗議することがある。
これなども、「表面的に同調し合い、他人の自己愛をほぼ無制限に認める」状況に原因している。
対人距離は遠いのに、無限に傷つきやすく敏感になっている。とげの長いガラス細工。
このタイプの人が破綻するとして、統合失調症ではなくうつ病であるということが、ねじれたところである。
個人的には統合失調症の不全型で、うつ病症状にとどまるものと表現してもいいのかもしれないと思っている。
クレッチマーの時代の理論は、統合失調症と躁うつ病とてんかんで三分したり二分したりして説明しようとしたところがあり、さらに当時の躁うつ病・うつ病と現代のうつ病の間に誤差が生じており、また、統合失調症も軽症化を含めて変化が言われていることを考えると参考にする場合も注意が必要である。
結核や感染症と同じく、また糖尿病と同じく、栄養が豊かになり、清潔になったことが、疾病像の変化をもたらしていると考えるが、一方で、社会の構造の変化が精神に与える影響も考えなければならない点である。少子化、情報化、幼年時代の過ごし方の変化など。
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臨床精神医学37(9):1221-1234、2008
ソフト・シゾチミア性格者の青年期うつ病とその精神療法的視点からの一考察
病前性格論から回復の状況論へ架橋する試論として
吉岡眞吾
抄録:本稿では「うつ病患者の性格」としてソフトなシゾチミア性格を持つ者に焦点を当てて考察を進めた。この視点から考察することにより、①病前性格としてメランコリー親和型を中心に置く議論からいったん距離を置いて考察を進められる。②「患者の性格」には必ずしも病前性格に純化したパーソナリティを想定せず、あくまで臨床で出会う「発病後の」患者の性格を考察の対象とする。それによって発病状況論ではなく、実務的な治療的関与を重視した回復状況論へと視点を転ずることができる。③ソフト・シゾチミアという造語によって現代的な青年の性格を反映させようとした。④ソフト・シゾチミアというパーソナリティのイメージからできるだけ病理性、すなわち異常性を排除するだけでなく、むしろ信頼と好感を持たれやすいといったポジティブな要素を積極的に評価した。⑤ソフト・シゾチミアという概念の導入を通して、患者に自己の性格的特徴や対人関係における脆弱性を認識させたり、回復期には適度な自己達成をすることによって自己評価の回復を重視するなど、主に精神療法的な観点からの治療論にそって議論を進めることができると考える。
Keywords:うつ病(depression)、シゾチミア〈統合失調気質〉(schizothymia)、性格(personality)、回復の状況布置(situation for recovery)、自己評価(self-esteem)、精
神療法(psychotherapy)
1 はじめに
今回筆者らは表題のように「ソフト・シゾチミア soft schizothymia 性格者」という造語を持ち出したが、ことさら新しい臨床単位を独立させようという意図は当初からごく薄かった。なにより「OO性格者のうつ病」という表現自体から、筆者らが「特定の病前性格から特定の病態が高頻度に発症する」こと、さらに「新しいタイプのうつ病親和的性格の提唱」を主張したいのだと誤解されることを恐れた。現在の通念では、うつ病・うつ状態は特定の病前性格の持ち主だけからではなく、あらゆる性格の人物からも発症しうると考えるべきであろう。
schizothymia〈統合失調気質〉の読み方として、日本精神神経学会による精神神経学用語集改訂6版〈2008〉においてはスキゾサイミアを挙げている。ここではドイツ語的な語感からシゾチミアとしたが、特別な意味は込めていない。
筆者らの発想はあくまで、最近の精神医学の分野での重要な課題である「軽症ながら慢性化傾向を持つ青年期うつ状態」の症例の治療の中から自然に析出してきた臨床経験に対し、できるだけ伝統的な精神医学概念を援用して整理した方がわかりやすいと感じたものにすぎない。しかしさらに、これらの病態に対して治療学的には必ずしもオールマイティな有効性をもつ手法が定着していない現状で、本稿は単なる「名付けによる整理」にとどまらず、広く治療的な示唆を持つ可能性があると思い、報告することにした。
今回は上のような視点から、性格特徴、発症状況、症状、治療的関与、経過の推移、家族や職場の力動などの相互力動を「回復の状況布置」としてとらえて検討した。本稿では自験例の中から典型的と思われる一ケースをやや詳しく報告し、全体的なイメージを共有したい。なお症例提示にあたってば、個人情報に配慮することを説明したうえで専門誌への掲載につき本人と配偶者(妻)の承諾を得ている。
また表題も含め本稿が扱っている「うつ病」とは経験的に単極性のものであるが、双極性の要素を原理的に排除しているわけではない。
2 問題意識
1.青年期のうつ病論の錯綜
先に触れたように、昨今わが国の精神医学的な大きな課題としての「軽症ながら慢性化傾向を持つ青年期うつ状態」については1975年のかの笠原・木村分類以降、さまざまな臨床単位、臨床概念が提唱されてきた。この上位概念の下に、逃避型抑うつ、非定型うつ病(DSM-IV-TR)、現代型うつ病、未熟型うつ病、職場結合性うつ病、ジスチミア(気分変調症)親和型うつ病などのさまざまな新しい下位概念が創出された。しかしそれぞれの理念型には微妙な差違と同時に交錯があり、それぞれの異同を明確に論じ分けることも容易ではなく、その分それぞれの境界領域を整理することもまた容易でない。
注2)本稿の文脈からは、ソフト・シゾチミアの性格を持つうつ病患者が増えていると読み取れるところもあるが、筆者らの意図は平均的な若者の性格に中にこの性格の者が母集団として増えているであろう、という推論があるのであって、この性格が他の性格よりもうつ病発症に対して促進的だといっているのではない。
実際今回以下に提示したR氏に関しても、発症・増悪に際しては職場での失敗や叱責された経験が関与していることは職場結合性うつ病の発症状況と同種であり、病相期の妻に依存した療養生活からは逃避型抑うつの臨床特徴が、またR氏の性格傾向自体や、経過中に出現した電話対応に対する恐怖症症状などからは、現代型うつ病に描写されている臨床像にもそれぞれ共通点がかなりあると思われる。これらの病態をもう少しわかりやすく位置づけて治療的示唆を得られないかという思いがあった。
2.現代青年の性格傾向
上記1.に関係するが、今回の症例、あるいはうつ病の患者一般に限らず、昨今の青年には、役割没入・滅私奉公風に映るようなメランコリー親和型性格の者が減少し、一方で個人主義的な傾向を持ちながらも明らかな「わがまま」「身勝手」でもなく、むしろ素直で行儀のよい者が相対的に多いという印象を持つようになった。そしてわれわれはこの性格傾向を広くシゾチミアの要素を含んだものと考えてもよいのでは、と思うようになっていた。そして彼らに対して治療的に対応するには、その性格傾向に添った接し方がよいという印象を経験的に持つようになっていた。
3.治療論的観点からの「回復状況論の中の性格論」
筆者らは1960~1980年代にかけて研究が進んだ人間学的な発病状況論に影響を受けながら、回復の状況論にも関心を持ってきた。特に慢性病態にある精神疾患からの回復には状況論的検討が重要であると考えてきた。その点で患者の性格傾向も発病規定(促進)因子としての病前性格論だけでなく、回復の状況を形成する治療的要素としての「性格論」にも大きな意義があると考えてきた。
この考察を後押しするものとして、精神医学の側の「うつ病」の治療論・対応論が、休息と薬物療法を重視したメランコリー親和型内因性うつ病をモデルとしたものからの、モデル・チェンジがなかなか進んでいない中、これらの若者の長期療養者・長期休職者への対応策が十分に用意できていない現状も含まれる。
4.精神療法的な個別的治療論
これはうつ病の治療論に限られたことではないが、最近の治療論的文献には、アルゴリズム的な薬物選択技法を提示しかもの(優先順位のしたがってゆくうちに結局網羅的に薬物を使ってゆくことになりかねないが)か、簡便平易な疾患モデルに基づく「患者に対する教育(学習)的治療法」に相当するもの、あるいはその二者を組み合わせたものが多いように思う。もちろんわれわれもこれらの治療論は、基本的には治療の要点を押さえたものが多く、専門的には深い知識や経験や洞察をとり入れたものとは考えるが、補足的な視点、批判的な視点をもたずに治療の主役に据え続けると「患者を丹念に診る」という視点を軽んずることになるのではないか、いうならば「患者に合わせた治療」を行うのではなく、「治療(論)に合わせて患者を診る」ことになるのではないかという懸念を持つ。その上うな視点から、1章に述べたように「治療の中から自然に析出してきた臨床経験に対し」個別に対応を考えてゆく作業も重要であると考えられ、結局それは精神療法的な治療効果を持つと考えるのである。
急性期の治療は、比較的には類型的(≒パターン的)に進めやすいが、社会復帰のための治療は本来的に患者一人ひとりの生活を再獲得するものであるから、必然的に個別性を重視しかものになるはずである。そのような視点からわれわれには、患者の個別性を大切にした治療を考えてゆきたいという意図があった。
それゆえ本稿においても「ソフト・シゾチミア性格者には、このように対応すればよい」という教条的な「治療パターン」を提示しようという意図があるわけではない。
3 ソフト・シゾチミアという用語の由来と基本的な概念
1.シゾチミアとソフト・シゾチミア
1)スペクトラムとしての領域
「ソフト・シゾチミア soft schizothymia」という用語の問題については、一つには、クレッチマー Eのいうシゾチミア(統合失調気質)という概念とどう距離を持つかという点にある。クレッチマーEのいうシゾチミアは、「シゾチミア-シゾイド(統合失調症質)-シゾフレニー(統合失調症)」といった、統合失調症へのベクトルを持つ連続移行的な概念の中での「非病理性」の部分を担当する概念用語であることを鑑みて、筆者らにはそのジゾチームの語感から「統合失調症」という精神病要素をさらに、できるだけ払拭したいという意図がある。そして語感のうえでも、アキスカル HSの提唱する「ソフト・バイポーラー・スベクトラム soft bipolar spectrumの用語が「ほぼ健常者にあたる部分を大きく拡げた包括的なスペクトラム概念」であることから対となる用語として納まりが良いという印象を持つ。
2)病理性の希薄さ
またクレッチマーEのシゾチミアの記述を読むと、彼がシゾイドの記述・描写を重視していることの影響からと推測されるが、描かれるイメージがかなり「病的」、すなわちシゾイドとの差違が見分けにくく思われるのである。われわれがここで描写しようとするパーソナリティは、明らかに「健常者」の範暗にあるものと考えている。(この点で、タイトルは似ているが、小川が記述したスキゾイド(シゾイド)・デプレッションとも差違があると考えている 後述)。そういったことから、従来のシゾチミアのイメージよりも「ソフト」なものを表現したかった。
3)先天的(≒固定的)イメージの払拭
さらにシゾヂミアという用語が、クレッチマーEが「体質的要素の表現形態」という視点を持っていたために遺伝的、すなわち先天的というニュアンスをかなり強く含むものと考えられる。これに対して現代的にはヒトの性格ないしパーソナリティとは、遺伝(先天的)要因と環境(後天的)要因が力動的関与して形成される複合物であるという認識に立っており、ここでいうパーソナリティの形成には、その中でも社会・文化的すなわち後天的要素が占める部分が大きいと考えられるからである。つまりわれわれが提唱する「ソフト・シゾチミア」性格は多分に後天的に形成されたものであって、「遺伝的体質」といった不可変で刻印的なものではなく、もっと「ソフト」に規定されたものと考えている。それというのもわれわれ自身詳しい調査をしたわけではないが第二次世界大戦後の高度経済成長期を経た個人優先的な民主主義国家として再編された日本という社会の中で、それまでのメランコリー親和型性格者よりも、このソフト・シゾチミアという性格が増えてきているという印象を持っており、この変化は後天的な、いってみれば現代社会への適応の産物という見方もできると考えているからである。
4)ソフトでポジティブなイメージ
そしてもう一つ、この用語の提唱の理由であるが、それは何より、これらの青年のパーソナリティは、病理性がないだけでなく、むしろどちらかというと好ましく、周囲からの好感や信頼を得ることが多いということである。彼らの人柄は「控え目で、まじめで優しい、信用できる」といった評価が多く、さらには「狡いことをしない、相手によって態度を変えたりしない、数年ぶりにあっても以前と変わりなく付き合える」といった評価にもつながる。本稿の読者の多くにも彼・彼女らの「ソフト」な物腰の好イメージが浮かんでいることと思う。
以上のことなどからわれわれは、クレッチマーEが描いたシゾチミアと本質的共通点を持ちながらも、ある部分ではそれを止揚(古風な用語であるが)し、よりポジティブな概念規定ないし用語があってよいと考えるようになった。そしてわれわれは臨床場面において、この患者自身に自分の性格に対する「ポジティブな概念を描いてもらうこと」こそ、精神療法的な治療的意義を持つと考える。なんとなれば彼らは自分の性格について「頭が硬く、古い」「不器用で柔軟性がない」「人の上に立つ器ではない」などといった低い自己評価をもっていることが多いからである。
もちろんかの「メランコリー親和型性格」者のパーソナリティも、平常時は周囲から良好な評価を得るものでありながら、さまざまな弱点をもっていることは病前性格論で精緻な考察を行った笠原、木村などの論述にも示されていることはよく知られている。同様にこのソフト・シゾチミアの性格者にも弱点はある。その弱点に対して患者本人がいかに対処して乗り越えてゆくかという経験こそが、治療的であることを以下に示したい。
2.温故知新
ちなみに今回のソフト・シゾチミアという概念は、それほど「新種の」概念規定を必要としない。古典的な精神医学の基礎知識があればイメージしやすいものだと思われる。
また「逃避型うつ病」、「未熟型うつ病」という命名は、それぞれの提唱者の意図には患者の人格的価値評価を引き出すべきでないとの配慮が読み取れるが、用語自体の語感からは使いにくさがあった。その点においては、このソフト・シゾチミアという用語が将来市民権を得られるか否かには不安が残ることを告白せねばならない。
そしてこの「新種でない」概念を持ち出す意図の中には、DSM的な分類診断を主眼としたものは、横断面の症状を重視した静的・観察者的な多次元的思考であるのに対して、わが国の精神病理学が重視した「病前性格・発病状況・症状・治療への反応・経過」といった縦断面的な治療を主眼とした力動的関与者的な多次元的思考を思い起こしたいという思いも込められている。
その一方で、先にソフト・シゾチミアというパーソナリティが、現代の日本社会で増えているという印象に対して社会文化的な産物という見方を示した。これは筆者らの浅薄な文化人類学もどきの発想で恐縮ではあるが、第二次世界大戦後の民主主義教育の中では「個人」が重視され、「自分らしく」あること、あるいは「自分のことは、自分で決める」ことが「よし」とされる。このような文化の中では、精神療法的視点からも、患者が(決断不能になっている程度に重症であるときは除いてではあるが)社会復帰、職場復帰の段階になったときには、さまざまな局面で「自分で決める」ことが大切な場合も多い。自分で決めたことが、納得を引き出し、その納得が自己評価を保護し、精神療法的にも好影響を与えると考えられる。うつ病の回復で重要なことは「自分を信用する」ことである(シュルテW)ことを思い出したい。
ここでタイトルに「青年期」の語を入れたことを思い出したい。これは臨床的経験から青年期のうつ病者に比較的特徴的であるという経験則から発想したものではあるが、「自分のことは、自分で決める」という課題は、青年期の一般的課題、すなわち笠原が「精神分裂病(統合失調症)の発病に前駆する心理的要因」として抽出した「出立」状況に重なるものである。図式的にいえば、ソフト・シゾチミアという性格を持つ青年が、出立課題を乗り越えるべく苦闘する状況でいったん破綻し、うつ病を発症したもの、ということができる。なぜここで、その時に統合失調症ではなく、うつ病を発症させたのかという精神医学的推察は興味深いものではあるが、本論から外れるためにここでは立ち入らない。しかしながら出立課題を再び「治療を通して変貌を遂げたやりかたで」再チャレンジしたうえで自ら乗り越えるということが、治療的意義を持つということを示唆するものであろう。
改めて思い返してみれば、ソフト・シゾチミアの性格を持つ者を思い描いてみれば、クレッチマーのシゾチミアを範としながらも、それなりの他者配慮性、世俗的な成功にも関心をもつような俗物性を備えており、むしろ「一般平均人」の中核的イメージからそれほど変位していない位置にあると考えられる。クレッチマーEのシゾチミアとシゾイドの境界は「病的異常性」の多寡によって区分されていることから考えれば、ソフト・シソチミアは、もちろん「病理性」とは認識されず、あくまで健常状態での性格傾向の範躊であることを、改めて念を押したい。
このソフト・シゾチミアの定義的議論をする前に症例を呈示してイメージを共有したい。
症例提示
[症例]R氏、発症時28歳男性
生活歴と家族の紹介:R氏は中堅の大学を卒業し大手の家庭電化製品販売会社に就職した。彼の学歴などから、彼が将来の幹部候補生であったであろうことは不自然な想像ではない。
R氏の家族について触れる。父親は若ぐして家具製作業を興し、現在は小さいながらも幾人かの従業員を率いて経営者として成功している。彼は職人気質の性格であり、かつ世間的な些事にはこだわらないという面がある。母親は控え目な性格で、衆目の前に出ることを嫌う性格であった、しかし親しくする友人には細やかに描いた絵手紙をこまめに送るなど、人を大切にする女性であった。彼女はR氏が就職してまもなく事故で急逝したが、その葬儀には家族の予想を逞かに超えて200名以上の参列者があり、その人望に家族の方が驚いたという。
R氏には兄が1名あるが、その兄は「自分の意見ははっきりいうが、神経が細かい」「自分のことは一人で決めて、悩みを打ち明けるようなことはしない」夕イプという。またR氏の妻は大学の同期生である。学部は異なるが、同じフォークソングを歌うサークルに属し、大学入学してほどなくから交際するようになり結婚に至った。R氏夫妻には女児二名(R氏発症時には3歳と1歳)があり、妻は主婦となっている。この妻は控え目で落ち着いた柔らかさを失わない女性である。そして聡明かつ忍耐強い。診察場面で筆者はランダムに質問を投げかけるのだが、それに呼応した妻によるR氏の描写は驚くほど的確で、「姿が目に浮かぶような」リアルさを備えながら、かつ決してR氏を傷つけないことばを自然に選んでいることに筆者はいつも舌を巻く思いであった。R氏は発症後約4年を経て、ようやく寛解状態に回復したが、その期に及んで妻はR氏と交代するように一時体調を崩すといったエピソードがあった。彼女の落ち着いた物腰の陰に大きな不安やストレスを忍ばせていたことが窺われた。
R氏自身の性格については、自身は「何かを始めると、それ一つのことしかみえなくなるタイプ」ということをまず挙げる。人付き合いが苦手で、子どもの頃から友人が中々できずに一人で遊ぶことが多かったという。しかし決して人嫌いというわけではなくて「声を掛けてもらうのを待つ」タイプだという。大勢の人間でワイワイ騒ぐことは自分には合わず、人と干渉し合うのは好きではないという。自分らしい過ごし方について尋ねると「自分は黙って黙々と手作業をするのが合っている。趣味としては海釣り。堤防から釣り糸を垂れているのが好き」という。妻からも釣りの仕掛けなどを一人であれこれと細工しているのが似合っているといわれる。また妻はR氏のことを「まじめで優しい。同世代の中では昔気質というか古風なタイプで、携帯電話など新機種にすぐに飛びつくようなことは決してしない。昔から使っているものをいじりながら長く使うタイプ。陶芸やパン作りといった手作業をすることが好きだった」と語る。また体型は一貫してやせ形である。
これらからR氏の家族はおおむねソフトなシソチームの性格を有している人たちだといえそうである(津田の指摘)。その中でも父親と兄はややハードな、すなわち古典的特質に通ずる性質を持ち合わせているといえよう。
現病歴:R氏は大学を卒業と同時に就職したのだが、当初は販売現場でオーディオ製品などのややマニアックな部門を担当していた。彼自身、興味のある分野であり会社組織の中での将来性にも期待し充実した毎日を送ることができた。しかしながらやがて徐々に状況の変化が現れた。会社が同業ライバル会社を吸収合併し拡大してゆく中、X年9月(28歳)R氏はより顧客層が厚い家電部門に昇進配属された。部下が増え指導的業務が増えた。また販路拡大のために度々経営会議をマネージメントし、数多くの中堅社員を前に夜遅くまで議論を戦わせねばならない日々が続いた。
それまでは比較的少数の顧客を相手にじっくりと話をする機会が多かったが、新しい部署では、専門業者を相手に大規模な商談や値引き交渉をしなければならず、次から次へと他人と会って論陣を張らねばならなかった。
R氏は当時を振り返ると「自分が指導的な立場になると、これまでのように自分のやり方、自分の考えに沿って動くよりも、周囲の意見を採り入れ、後輩やパートの社員の気持ちを汲むことが大切だと思うようになり、だんだんと仕事をすることが息苦しくなっていった」という。また「これまでは互いに趣味や趣向がわかるお客を相手にしていたのか、今では時に200人を超えるほどの顔も知らないような社員を前に、いきなり経営戦略をプレゼンテーションするよう求められた。そういったことがひどく苦痛だった」という。
そしてこの「イヤでたまらないが、やめられない」という板挟み状況の中で業務が山積し多忙を極めるようになっていった。やがて不眠、食欲減退を生じ、口数も減っていった。X+1年4月自宅で「首を吊りたい」と漏らすようになるに至り、近医(メンタルクリニック)を受診した。医師の勧めで2ヵ月間程度の休養を2回取った。しかし完全にうつ状態から回復することはなく、慢性的に抑うつ状態が持続する中、通院を続けながら「騙し騙し」仕事を続けていた。なお過去および治療経過中に躁病エピソードは認められていない。
当院における治療経過:X+3年8月自身の昇進試験を「職場の部下のモチベーションを高めるためにも受けざるを得ない」と考えて準備を始めたが、かえって「何も頭に入らない、もう無理だ」という焦燥感と徒労感に捕らわれて急速に病勢が増悪し、当院を自ら妻と受診した。
「2年半近く近医に通院していたが治らないので、医者を変わろうと思った」という。情報提供書はなかったが、薬剤情報から抗うつ剤としてSSRIが常用量処方されており、短時間型の睡眠導入剤も処方されていたことがわかった。
当院初診時、閉塞感(八方ふさがり感、がんじからめ感)、希死念慮(「死にたい」というよりも「苦しくて生きていけない」感じ)といった焦燥を伴う抑うつ・抑制の強い精神症状、睡眠障害(浅眠、中途および早朝覚醒、熟眠感の喪失等)、消耗・疲労感、朝に悪化する気分の日内変動、1ヵ月に5kgの体重減少といった身体症状が認められ、ほぼ典型的なうつ病の病像を呈していると認められた。症状は勤務日には増悪し、最近では朝起きられないほどだという。なんとか出勤しているものの、職場にいられないほど苦しくなって早退することもあるという。
しかし一方でR氏には「うつ病にかかっている」という病識はあり、今回も自ら治療を求める姿勢があった。妻も彼の病気を理解しており、治療にも協力的である。また職場の直属上司自身にもうつ病の経験があり、病気や治療への理解があるという。本人や妻と相談した結果「中途半端な勤務はせずに、きちんと休養をとり、治療中心の生活に入る」ことを条件に自殺・自傷行為などの危険な行動はしないことを約束したために、外来治療に導入することにした。このとき、①診断書を提出してきちんと休養をとる、②三環系抗うつ剤、長時同型睡眠導入剤に処方を整理する、③当面通院医療とするが希死念慮の増強があれば直ちに入院治療に切り替えるなどの方針を明示した。
当院での治療開始後、薬物療法は段階的にアモキサピンを150mgまで増量して維持量とした。R氏は、休職当初は出勤から解放されたことに安心感を獲得したが、1ヵ月ほどして「時間をもてあまし、かえって焦る」といったことが語られるようになった。やがて彼はパチンコにのめり込むようになった。当時の彼は「もともと(病前から)自分は、仕事人間で、仕事以外はパチンコくらいしか趣味がなかった」と語った。しかし当時の彼の表情はむしろ険しく苦しげで、パチンコを楽しんでいるようにもみうけられず、彼自身「楽しんでやっているのか自分でもわからない。しかし、パチンコ屋にいこうと思い立つと、どうしてもいかないと気が済まない、やりだすと持ち金がなくなるまで止められない」と語った。妻も「何か憑かれたようにパチンコ屋に出かけてゆくし、帰宅した姿には疲労がもっと増えているようにみえる」という。筆者も薬剤誘起性の脱抑制要素の混入も検討したが、当時の彼の全体像はむしろ抑制が増強していると考えられた。
筆者は治療の中に、R氏の生活を適度に充実させるべく、生活に柔らかなリズムを持つこと、散歩などの負担の少ないエクソサイズを日課に入れること、パチンコについても頻度と費やす金額の枠組みを自分で決めてもらうことにした。その結果、比較的早期に「自然に興味がなくなって、それほどパチンコがやりたいと思わなくなった」という。
X+4年4月職場に復帰した。復帰に際しては上司とも相談しもとの部署ではあるが、診導的な業務は外してもらい、「パートの社員と同じ」現場の業務に専念させてもらうことにした。彼は以前の役割と比較し、後ろめたさを感じる一方、実際には規定の時間とおりに退社することもままならず、パートの社員が急遽休むと正社員の彼が居残りをしてでも穴埋めをせざるを得ないこともままあった。
しばらく大過なく勤務を続けていたところ、R氏の上司が新たに設立された子会社の経営者として転出することになり、R氏も誘われた。「今のまま留まっていても、なかなかもととおりのペースで働けなし、もとの部下の前で居心地が悪い」「上司は自分の病気を理解してくれているし、新しい社員の前なら以前の自分と比較されることもない」と転勤を決めた。
しかしX+4年6月に移った新しい会社は、会社自体が新しく、社員も少ないこともあって、R氏自身が転勤早々から新しいプロジェクトを自分で立ち上げなければならなかった。当然相談できる経験者もいなかった。自分に目を掛けてくれる上司に応えたいとR氏も努力していた。しかし徐々に疲労が溜まってくるにつれて、対人恐怖的な心性が強まってきた。特に職場にかかってきた電話に対応することが苦痛となった。電話口の向こうの見知らぬ相手と話をすることは大変な苦痛となった。そのような中、上司は毎日R氏を自身の自家用車で遠回りして送ってくれていた。そしてその車の中で、職場での電話対応について上司からやや厳しく叱責されることとなった。それを機にR氏は再び出勤ができなくなり、X+4年9月に希死念慮も口にされるようになり、再び休職することになった。
彼は「上司は自分に目を掛けてくれていて、感謝していた。期待に応えたいとも思った。しかし、毎日車で送迎されることは負担でもあった。また道すがら個人的な生活にもいろいろと意見をいわれることは苦痛だった。上司は親しみを込めているのだとは思うが、自分を家族のような口調で叱られたりすると、とても嫌な思いがする」と語った。
休職中は比較的回復も良好であった。しかし次の復職を考えると、足がすくむような思いがして、なかなか復職に踏み切れなかった。筆者との面接で復職を迷う心理を尋ねてゆくと「新しいプロジェクトに対して、アイデアが湧かない。誰も教えてくれる入がいない」「電話対応が怖い。パートの社員でもできるようなことなのに、情けない」といった、休職前からのテーマも再燃していた。しかし新たに「何度も休職して、これ以上上司に迷惑を掛けたくない」さらに「今度復職するときの業務軽減などで、上司に頭を下げたくない」といった、上司に対する葛藤が強く認められた。そして「将来上司と机を並べて働く姿を想像するだけでも苦しくなる」ことも語られた。
面接では、R氏からは復職できるようになるか、また現在の職場に復職すべきか否かといったことが繰り返し話題にされた。R氏自身、父と実家の家業を一緒にやろうかと相談にいったりもした。
筆者からは、30歳代に入ったR氏自身について、入社以来の経過を振り返ってもらい、復職については、自分自身、家族と相談しながら結論を出すこと、少し時間を掛ければ自然に結論が出てくるであろうことを支持的に伝えた。この時筆者からはR氏の性格傾向などを個別的な生活史の場面に即して説明することを繰り返した。「迷いはあっても、結局『どちらを選ぶかというよりも、どちらを受け入れられないか』ということがみえてくるであろう」ことも伝えた。
結局X+4年12月に入ったところで、会社を辞め家業にはいることを自ら決断した。その後の抑うつ状態は徐々に回復してゆき、経過も安定した。家業にも充実感も感じるようになったという。X+5年2月から、アモキサピンを初めて100mgに減量し以後X+5年5月には25mgまで減量しているが経過は良好である。現在では発症以来約4年半経過し、当院での治療的関与は1年8ヵ月経過したことになる。R氏も妻も発症以来現在が最も良好な状態であり、初めて健康だった頃と遜色ない状態になったという。最近会った旧友からも「1年前に会った時とは目つきがまるで違う。もとのRに戻った」といわれたという。休日は趣味の魚釣りをゆっくりできるようになったという。
R氏は退職して家業に入ったことについて「せっかく幹部候補生として就職した会社だったので、中途半端に辞めることも悔しかった。家業は小さな工房のようなもので将来性もわからないことも不安で迷った。しかし会社自体、自分が就職した約10年前と比べるとずいぷんと変わってしまったことにもようやく気がついた。就職した頃はもっと家族的な経営をする会社だったのに、どんどん大きくなって、支店が増えて、管理的な雰囲気の会社になってしまっていた。今となってはもとの親会社にも、転勤した子会社にも、自分の居場所がなくなっていたことに気がついた。そう思ったら辞める決心がついた」という。いったん辞める決心をした後には比較的気持ちは軽くなり、退職の手続きも自分で行った(退職前は会社に電話連絡をするときにも妻に頼んだりしていた)。
またX4-5年8月には、家業に関わる作業技術を高めるために参加した講習会で、人前に出て緊張する機会があったことから、さらに内省が深まった。「自分は人前に出ると過剰に緊張してしまう。昔の会社で大勢の社員の前でプレゼンテーションをしなければならなくなったことが決定的だった。緊張すると一つのことしかみえなくなることがわかった。今は自分の弱点がわかってかえって落ち着いた。緊張していることが自分でわかるようになった。34歳になって初めて大人になれたと思う」と語った。
5 ソフト・シゾチミアの輪郭
これは、クレッチマーEのシゾチミア、シゾイドの描写から、より「ソフトで適応的」、すなわち周囲との協調的な側面を抽出することになる。
クレッチマーEのシソイドの特質は以下のようである。これらを古典的特質と呼んでおく。
①非社交的、静か、控え目、まじめ(ユーモアを解さない)、変人
②臆病、恥ずかしがり、敏感、感じやすい、神経質、興奮しやすい、自然や書物に親しむ
③従順、気立てよし、正直、落ち着き、鈍感、愚鈍
これらのうちで、①が基調となる特質で、②が過敏性、③が鈍重さの特質とされる。この②と③の特質がさまざまな比率で①に付加されるという。
これらの古典的特質を、筆者らのいうソフト・シゾチミアに延長するならば、
①引っ込み思案、人見知り、思慮深い、交際する人は多くはないが深く付き合う(「奥座敷に招く人を選ぶ」)、自分も相手もプライバシーを大切にし、干渉をするのもされるのも嫌い、自己主張は「最後にとっておく」タイプなど
②嫌いなものは受け入れられない(「イヤなものは、断固イヤ」)、平和主義者(ただし、嫌なものを除去したうえで「ことを荒立てたくない」という姿勢)など
③素直、善良、素朴、人を裏切らない、慎重、頑固、堅物(かたぶつ)、古風、融通が利かない、狡いことはしたくない、気まぐれな言動を嫌う、一度決めたことは変えられない、立ち回りが不器用、臨機応変な対応は苦手、理屈っぽいなど
といったこととなろう。①の基調となる特質は、安永のいう「長い槍で相手を探る」という対人的な距離をとる行動傾向を作る。②は繊細なロマンチスト、③は不易性、首尾一貫性といった特質に通ずると考えられる。
そしてこのソフト・シゾチミアのもう一つの重要な特徴として、他者配慮性が高く、周囲からも「優しく信頼できる人」などとまず好意的に評価されることが多いという印象がある。これには古典的なシゾチミアに比して対人希求性が高く、「他者の心の平和を乱すことが、自分の心の平和を崩す」といった対人相互呼応性が高く保持されていることが示されているものと思われる。言葉を変えれば「自己の内的基準・内的規範を一歩優先させたうえでの他者配慮の重視」ということになろうか。Ⅲ章にも述べたように、彼らは古典的なシソチミア、シソイドのようないわゆる「変人」ではない。
6 考察
1.病前性格と“患者の性格”
病前性格論は、クレペリンEなどからも疾患概念を整理する中で重視されてきた。周知のとおり、クレペリンEは、躁うつ病の患者(およびその家族)には、病相期以外の状態でも病相の前段階としての基本的な状態のなかになんらかの病的な持続状態を想定しており、4つの類型を素質として挙げている。さらにクレッチマーEはその臨床的観察から患者を超えて人間一般の中に性格傾向の一定の特徴的な要素が偏在することを認め、その要素が、気質-病質-疾患へと連続的に移行する濃淡(スベクトラムといってよいであろう)をもつことを示した。その後テレンンバッハHが彫啄したメランコリー親和型性格の概念は、発病規定因子としての病前性格という見方を強めており、日本でも内因性うつ病の発病促進因子としてのメランコリー親和型性格の概念は定着した。ただしこの経過の中で内因性という概念は、「性格状況反応」というdynamicな要素を含む発病因子として変容を忍ばせていったと考えられる。
これらの病前性格論は、それが発病を促進する条件を既定する因子なのか、それともすでに疾患の初期段階の症状を軽度に表現したものなのかなどといった古典的な議論を現代にも残しつつ、行動遺伝学的研究からはそれらが相互作用的に形成されうるものという、より統合的な理解に向かっているようである。
なお病前性格を厳密に論ずるためには、われわれ医療者が診療行為によって得だ病前のものとしての情報が、実はすでに疾患自体による影響を被ったものであることを免れがたいということも指摘されている。
一方でわれわれが臨床的に出会う患者は一般に、当然にしてすでに発病を経験した者である。彼らの病前性格がどのようなものであったにせよ、すでに発病を体験し、疾患とともに生活し現在に至っているヒトである。
すなわち治療的観点からは、筆者らは病前性格をあまり「病前」に純化する必要を感じていない。発病前と発病後の性格に一定の共通点があるのであれば、診察時点で観察される性格を「患者(すなわち発病体験者)の性格jとして対応を考えてゆくことは十分に可能と考える。それゆえ本稿では「患者の性格」というときには、「臨床で出会う患者の性格であって、病前性格と共通する性格傾向を持ちながら、発病を経たことによるなんらかの変化を含むもの」とややソフトな規定をイメージしている。蛇足ながら、性格とは素質と環境(発病も含む)の影響を受けつつ、生涯を通してなんらかの変化(成長・成熟や老衰も含む)し続けてゆくものであろうから、病前vs病後と画然と独立した2種類の性格があるわけではないと考える。
2.患者の性格を論ずる視点
筆者らは、患者の性格に関して発病論的な視点よりも治療論的な視点からの関心が高い。先に述べたようにわれわれはすでに発病した患者に関わるからではあるが、さらに若干の説明を加えたい。
病前性格は本当に発病の規定因子か否かという議論もあるが、神庭の示すように、病前性格として観察される固有の認知スタイルが、ありふれた心理社会環境をうつ病の誘因にまで昇格させるようなdynamic成分を形成するという考えに立っならば、筆者らはさまざまな病前性格の持ち主が、それぞれに、ある種の状況が発病促進的なdynamic成分を形成し、感情障害圏の疾患を発症し得るという考えに立つ。
また筆者らは患者の性格(病前性格に限らない)が発病というdynamicな状況を作るのに寄与しうるのであれば、病相からの回復というdynamicな変化を促す成分にも寄与する可能性があると考えている。
筆者らは未熟ながら、「回復の状況布置」という視点から患者の性格を含めた相互作用的な状況論を検討しつつある。今回のR氏の治療経過でも、患者の性格を視野に入れ、彼との対話を通して彼自身が内省や洞察を深められたこと、それに伴って退職、家業への参入などを自身の決断で行ったことなどが、発病以来約4年間余り続いたうつ状態からの脱却を可能とする状況布置の形成に寄与したと考えられる。
また「性格」というものは患者の生涯を通して比較的安定した性質を保つものであるから、患者の性格を視野に入れた治療は、心現社会教育や認知行動療法などを活用することにより、1回の病相からの回復に留まらず、長期的には患者自身による予防的なマネジメントに結びつけられる可能性もあろう。
すなわち「患者の性格」は治療および再発予防に影響を与えるものという前提からすれば、発病だけでなく、予後に対しても重要かつ規定的な影響を与えうる因子であると考えられる。
こういった観点は必ずしも新規の発想ではなく、マウツF、飯田、佐藤らも病前性格を治療論からも検討する必要性を示唆していた。しかし今のところ、メランコリー親和型性格を念頭に置いた笠原の小精神療法以降、さまざまなタイプの患者の性格を重視し、それぞれに即した治療論が十分に展開されたとはいえないと思われる。
3.先行研究との比較
うつ病の治療をシゾチミア(統合失調症気質・分裂気質)の観点から述べたものは少ないと思われる。
先に触れた小川の考察は、ここでいうシソチミアとはニュアンスを異にするスキゾイド(シゾイド)について論じたものである。特に小川の視点は、その性格の中に「病理性」を認め、その性格に対して精神分析的な治療が必要であることを主張する観点に立っており、本稿のようにシゾチミアの性格をポジティブにとらえる立場とは方向性も異なる。子細にみればクレペリンEの抑うつ性素質を説明する記載や、笠原・木村分類のⅢ型、IV型の中にわれわれのカテゴリーに該当する患者が含まれうると推測されるし、DSM-IV-TRに収載された非定型うつ病の中の対人過敏性の要素などは、われわれのカテゴリーの患者にも重なると思われる。また新しい世代の臨床研究として坂戸が性格因子として抽出した、硬直性、依存性、対人敏感性という要素をもつ患者にもこのカテゴリーの患者が含まれうると考えられる。しかしそれらの研究は、患者の性格を要素的に分解しているために、一つの性格像としての統合的な特徴を描いていないし、治療論的観点からみればあまり踏み込んだ展開はなされていない。
その点加藤が職場に関連した状況で発症したうつ病者に対して精神療法的な示唆に富む記述を行っているが、この治療論は患者の性格との関連は強調されていないながらも本稿の主張に多くの点で一致する。
4.回復の状況布置
こうした視点でR氏の記述を読み返すと、彼の状況とともに背後にある治療者の視点も析出してくるのではなかろうか。
彼においても、にわかに降って湧いたような子会社への転出は、小康状態にあった抑うつをかえって増悪させた。しかしその後その失敗を踏まえて治療的な関与下で熟慮したうえでの実家の家業への転職は治療促進的に働いた。これも転職それ自体だけではなく、転職に至るまでのステップ、治療的なサポート下での自己の主体的な判断が大切だと考える。筆者も彼の置かれた状況をそれまで以上に有機的に理解しようと臨むようになっていた。
ここで「自分のことは、自分で決める」という姿勢が、安易に「自己責任を強調された」かのように患者が受けとめることがないような配慮が重要だということにも一言触れておく。彼らは「干渉も嫌うが、孤立も嫌う」性格傾向があるのだから、治療者との協調の中での自己決定をしたという安心感も重要だと考えられる。
7 遷延化した症例
上記のR氏に関しては、比較的良好に回復したが、中には同じソフトなシゾチミアの性格に属する者で経過が遷延している者もある。一例を提示する。
[症例]P氏、現在46歳女性、小学校教師
P氏は小説「二十四の瞳」の教師像に憧れ、子どもの頃からの夢に従い小学校教師の道に進んだ。口数は少ないが、穏やかな人柄と熱心な指導から生徒や父兄、同僚の信頼も厚かった。自らの勉強にも熱心で、教科の中に疑問点があるとその分野の専門家を尋ねていくほどであり、そのようなときにも「女学生のように素直で一途な」態度が好感を呼んでいた。そのようなP氏に変化が現れたのは36歳の時、「本当に教育が必要なのは、さまざまな障害を持って普通の学校に通えない子どもたちだ」と考え、自ら志願して特殊学級を受け持つようになり、またさまざまな障害児教育のセミナーなどに通うようになった。
しかしそのように理想と熱意を持って障害児教育にあたったが、本人が思うように教育成果は上がらず、また自分よりずっと若い後輩の方が生徒と溶け込んで学級運営を上手にまとめているのをみては強い引け目を感ずるようになった。
3年後辞令を受けて普通校に戻って若手教師の指導を任せられるようになり、さらにP氏は深い挫折を味わうようになった。自分の理想とする教師像と、若手の目指す理想像と違いがあった。彼女の基本を重視した教育姿勢は「紋切り型で子どもにウケない」と後輩から批判を受けた。彼女は後輩の意見をきちんと受け止めることも大切だと考え、彼らの意見に耳を傾けたが、どうしても彼女の理想像とは合わない意見が多かった。後輩たちの主張は、マスコミ受けするだけの浅薄な教師像のようにみえ、彼女が重視する「人生の基礎学力」をつけるための小学校教育の基本から外れているように思えた。結局後輩の意見をとり入れることはほとんどなかった。それは彼女にとっては「申し訳ないと思うが、当然の判断」であったという。しかし2年ほどして、後輩が指導する生徒に明らかに優秀な子どもが増えていると感じるようになった。P氏は焦り、夜も図書館に通うなどして教育学の基本から学ぼうとした。
P氏は、子どもだちと接するのは好きであったが、教師仲間や生徒の父兄と対するときは違和感をもつことが多かった。特に他の教師と生徒の家族の仲裁に立つような立場になると途方に暮れることが多かった。
そのような中で41歳時、生徒の家族への連絡の不備について教頭からやや厳しく注意を受け、急速に自信を喪失してしまった。後輩の指導にも「自分にはそんな資格はない」との思ぃから指導の準備に念を入れすぎ、かえって本業の生徒の授業の準備が進まず、教室に入ることが怖くなるという悪循環に陥った。やがて始業のチャイムが鳴っても職員室から出られなくなることがあり、精神科医の診察を受けるようになった。希死念慮を認めたために入院治療に導入した。
ある程度回復すると復職を試みるのだが、彼女の理想的な教師像が災いして、上司と復職椎談をしても孤立的になった。以来5年問にわたり計6回の入院治療を行っているが、いったんある程度回復し、復職が現実化してくると再び調子を崩すことを繰り返している。本人はどうしても教師として教壇に立ちたいという思いが強く、「教師である以上、これくらいできなければ」という理想と、実際にはまだ集中力もなく、生徒の前に立って授業をやり通す自信も持てず、そのギャップに、「心が萎えて」しまうことを繰り返している。復帰訓練中に突然出奔して海岸で保護されることも何度かあった。
P氏の場合、やはり彼女の理想の教師像・学校像と、現実の学校現場の様相の間に大きな隔たりがあり、かつ彼女がその隔たりの中で自分なりに折り合いをつけて「ほどほどの自己達成をする」ことが難しいのだと思われる。治療者としては「学校」という組織の中で教師として復職することは現実的には難しいとの思いもあり、塾講師などへの転職を勧めたこともあるが、本人は「学校の先生」という職に戻りたいという思いが強い。
まとめ
青年期の慢性化傾向をもつうつ病について「ソフト・シゾチミア性格者のうつ病」という視点を導入し、薬物療法を併用しながら精神療法的なアプローチを重視する治療を進め、良好な回復を得た症例の治療経過を報告した。このソフト・シソチミア性格者のうつ病という概念は、特別に新たな臨床概念を規定せずともイメージできるものと思われる。ただしこのソフト・シゾチミアという性格を特徴づける用語には「非病理性」という指標だけでなく、「控え目だが、優しく信頼できる」といったポジティブな意味が含まれていることもあらためて触れておきたい。そしてこのタイプのうつ病は若い勤労者のうつ状態の者の中に少なからず含まれていると思われる。
精神療法的視点からは、彼らの性格傾向をある程度(つまりネガティブな自己評価に陥らないように)認識させ、「自分に合った」社会復帰、「自分に合った」生活の獲得を目指し、回復段階に即した現実的目標を立て、適度な達成感・充実感を獲得しながら治療を進めてゆくのがよいであろう。そのためには治療者は患者本人だけでなく、家族の視点、職場環境などの回復に向けた状況全体(状況布置)にも関心を高めることが重要である。
総じていえば「周囲の中で自分らしさを失わない」ことを導きの糸として治療を進めてゆくのがよいと思われる。またこの点からもある程度うつ病極期からの回復を得た状態であれば「自分のことは自分で決める」ことも同様に治療的であろう。
以上のように患者の性格を積極的に治療論に取り込んで、さまざまな要因との相互関係の中で(特に対人関係の志向性は重要であろう)個別的に検討する姿勢をもてるならば、このソフト・シソチミア性格者に限ることなく、さまざまなタイプの患者に対してもわれわれは多様性を備えた治療戦略を立てられるのではなかろうか。
また薬物療法に関しては、いまだ十分な数の経験を積んではいないが、このソフト・シゾチミア性格者の抑うつ気分や経過の推移は比較的ゆっくりと変化する(むしろ急変を嫌う)傾向があり、薬物療法も長期的展望で行い、頻回に処方変更を要するものでもないと思われる。維持量に達したらあわてずに待つことがよいこともあろう。
Summary
Depression in young adults with “soft’schizothymic personality and psychotherapy -A trial discussion between the premorbid personalily and the therapeutic situation for recovery-
The discussion about the relations between affective disorders and their personalities has a long history in psychiatry since E.Kraepelin.ln Japan,the former researchers have made up some original achievements until 1980’s about monopolar endogenous depressions after the concept of the Melancholic Type by H.Tellenbach in 1960’s.But recently we found increasing young adults with“not so severe but chronic”features of depression、and difficulties as their rehabilitations for their jobs.Psychiatric clinicians and researchers face to the requests of our society for developing therapies for them.ln the situation we have found many depressive patients with“soft”schizothymic personality;and the therapies considered as to the personality are successful.And we will draw some outlines of the personality、and offer the hints of therapies on them.
1)Soft schizothymic personality is based on the concept of schizothymia by E.Kreschmer,and we have had an intention of wiping out its pathological meaning bound with schizophrenia.So that the personality is included within the normal limits.
2)The personality is increasing among the young adults in our society.
3)The personality gives us some favorable impressions of honesty,faithfulness、sincerity、reliance rather than strangeness.
4)The distinctve feature of the personality is the psychological distances between the patients and the others.
5)The therapies for them are not successful only by rest and pharmacies compared with patients of the Melancholic type、but are effective by making their own situations and selections for themselves about their rehabilitalions and coming-back to their jobs.And their therapists must support them from the feeling of being abandoned or solitary.
6)Their therapists should be abele to understand the degrees of their recoveries、and their “situations for recovery”consist of their personalities、conditions of their onsets、their symptoms、their courses and outcomes、the dynamics as to their families or companies and so on.