「自閉症」という概念はその字ズラから、どうしても「ひきこもり」など、健常者の情緒障害として捉えられがちである。その混乱した「病因論」の歴史からそのような名称(Autism)がつけられたことがそもそも誤解を生む元凶となったのだが以下の記録を抜粋し、少々の解説を試みる。自閉症概念の移り変わり・・・研究の動向を通して都立多摩療育園・児童精神科 川崎葉子自閉症研究の歴史・・・病因論の変遷自閉症がカナーという医師により初めてアメリカから報告されたのは1943年である。その後、自閉症に対して多くの研究がなされて来ており、自閉症観は大きく変わってきた。勿論、自閉症の本体が何であるのかは未だ不明であり、治療の現場では、それぞれの仮説に基づいて試行錯誤をしながら療育を行っている段階である。その中には集積された知見を無視した療法も少なからずあり(プレイセラピー、戸塚ヨットスクールなど)、親子共々、振り回されてきた悲惨な歴史がある。
「自閉」というのは「自分の世界に閉じこもる」という意味で精神分裂病の基本症状とされているものである。精神分裂病は1900年の初めにクレペリンという医学者によりまとめられた大人の精神病である。小児にもこの病気があるのかどうかが、その後盛んに論議された。分裂病の幼児型、最早期発症型というのが次々に発表され、カナーが「情緒的接触の自閉的障害」として幼児自閉症を報告したのもこの時期である。 カナーは自閉症児を「精神分裂病とも精神遅滞とも異なる子供たち」と見ていた。精神分裂病は、その頃は「早発性痴呆」と呼ばれていた。それは、一旦獲得した能力が崩れていく、それが普通の痴呆のように老人期に生じてくるのではなく、もっと早く生じるということを意味している。 カナーは、自閉症はいったん成立した人間関係から引きこもってしまうのではなく、生まれながらに人とのかかわりがもてないという点で精神分裂病と異なるし、また、精神遅滞とは、利発そうな顔つき、良好な単純記憶を有する点で異なると考えていた。 カナーは、自閉症を診断する基準として以下の5つをあげた。1) 中枢神経系に器質的な障害を認めない2) 発症が先天的と言えるほど早い3) 自閉的行動の他に、反響言語、代名詞の転用などの言語症状。強迫的な同一性保持への強い欲求。 特有な能力があり、利口そうな顔つきをしている4) 経過中に精神分裂病のような幻覚妄想体験がない5) 家族に特有な心理構造がある (この決め付けが最近まで当該家族を非常に苦しめることになったのだが 現在ではきっぱり否定されている)
そう提唱しながらもカナーは、その後この子供たちを、精神障害のどこに分類したら適当か迷ったらしい。カナーというのはとても優れた医師で最初に報告した11例のプロフィールは、研究が進んだ今日でも書き加えることがないといわれるほど正確な観察に基づいている。 そのカナーが、自閉症の子供たちを、とりあえず小児分裂病に分類しようとする時期を経て、最終的には「私の子供達は、分裂病ではない」という結論を出している。 そして、彼等を呼称するのに大人の分裂病の症状を現す「自閉」という語を使ったのはまずかったかもしれないと語った。(ならば、その時点ででも呼称を変えるべきではなかったか?当事者は大迷惑をしている!) しかし自閉症は、名付け親のカナーの手を離れ、その意向とは関係なく他の専門家に扱われるようになって小児分裂病として治療の対象となった。 当時のアメリカでは、フロイトにより創設された精神分析療法が隆盛を誇り、そういうアプローチがなされていった。精神症状には、必ずそれに遡って原因となる心的外傷が有る筈である、自閉症児は、親に拒否されたために自分の殻に閉じこもってしまった子供たちであると解釈された。(違うってば!) それ故、彼等を全面的に受け入れて彼等の心を開くことが治療であるという説のもとに、プレイセラピーを行い、受容することが中心的な治療方法となっていった。(オー!マイガッ!) カナーが報告した当時は、脳の障害を検索する技術が現在ほど進んでいなかったので、自閉症には脳の問題はないとしたのも避けられない歴史的経過だったろう。(そんなァ・・・) 現在一般的に行われている脳波検査が開発されたのが1920年代の終りである。子供の障害に脳波検査が当然とされるようになったのは、ずっと後になってからである。 この頃の研究報告の多くは、自閉症がいかに心を閉ざしているか、母親がいかに冷たい人間であるか、子供がどのように傷ついたのかを専ら取り上げたものでした。(ヒドーイ!) そして親たちは、自分の「冷たい」養育態度に反省を迫られ、子供の心を開くために、決して怒らない、規制しないことを指導された。(つまり躾も何もせず、いわば、したい放題に放っておかれたまま成長した結果、その時代の親たちは、そのような「プレイセラピー」の弊害に苦しむこととなったのだ!) 勿論、その間にも様々な分野の研究がなされてきた。自閉症が心因論で説明される情緒障害ではないという今日の結論を得るまでの研究をいくつか紹介する。 その代表的な研究は、イギリスのラターという医師が1960年の後半に報告したものである。ラター等は今、自閉症と呼ばれるような子供たち63例を5年から15年間追跡した結果を報告した。 その中で明らかになったことは、成長していくと対人関係はつくようになるが言語障害は残る、知能の高い子供の方が予後が良い、分裂病のような症状を呈する例がないなどの諸点をあげ、自閉症の本態は、言語や認知の障害であり、そのため二次的に情緒が障害されたのだという説を打ち出した。このエポックメイキングな研究を皮切りに、次々とそれを裏付ける研究がなされていった。 勿論、これで自閉症の障害がはっきりした、自閉症は一次的に認知や言語に障害があり、そのために情緒などの障害が引き起こされるのだ、というラターの説もあくまでひとつの説に過ぎず、今後さらに研究が進むと、この説も淘汰されていく可能性は十分ある。遺伝及び家族研究 自閉症は、男児も女児もおなじ頻度で罹患するわけではない。明らかに男児の罹患頻度の方が高く、その比率は大体4:1となっている。この差が何故生じるのかは不明であり、分裂病は男女同頻度で罹患するものであるから、心因論ではこれを説明できない。 自閉症児の親は冷たい人間が多く、子供の養育を拒否する傾向があるという説に対しては、彼等を正常児および精神遅滞児の親と比較する研究が行われた。その結果、子供への接し方では、自閉症児の親はむしろ正常児の親に近いということが判明した。こういう報告も認識を進めるデータになった。
追跡研究 自閉症が分裂病と同じ疾患であるかどうかについては、自閉症児が成長して分裂病になっていくのか、という追跡研究が行われた。 一般人口の中で、分裂病が発症するのは0,8%くらいと言われている。つまり約100人に1人が分裂病になる計算である。ところが、自閉症の中で分裂病が発症したという報告は、世界中で10例に満たない。むしろ自閉症は分裂病になりにくいということになり、自閉症と分裂病は異なるものと考えられる。 また、幼児期自閉症の子供たちの様々な特徴のうち、予後を予測するキメテとなるのは、親の問題の深刻さなどではなく、むしろ言葉があるかないか、知能指数がどのくらいであるかという、精神機能であることが明らかになった。
神経生理学的研究 自閉症に脳波異常が多いという研究が、心因説を覆す旗頭となった。カナーが最初に報告した11例の中にも実はてんかんを発症した例が2例ある。 筆者らが調べた165例の自閉症の中の25%に異常がみられた。他の研究では自閉症の12%から83%に異常がみられたとしている。ばらつきはあるが、健常児とくらべると明らかに高い頻度である。 異常の内容は、筆者らの研究では、すべて発作性(てんかん性)のものであった。他の報告も発作性の異常が多いとなっている。発作(てんかん)が実際にある例は、10数%から20数%であり、これも大体1%といわれている一般の有症率と比べると明らかに多い。 これらの研究を通して、自閉症は分裂病、心因説の枠を離れていった。このことで象徴的なのは、1971年に創刊された自閉症の専門誌である『自閉症と小児分裂病』という雑誌が、1979年に『自閉症と発達障害』とタイトルを変更していることである。 現在、自閉症は、行動症候群として扱われるようになっている。つまり、行動上いくつかの共通する特徴を有する子供たちを自閉症としているわけで、それらが揃えば、原因の如何を問わず自閉症とされる。原因に関しては、脳障害があるであろうというところまでは専門家の間で一致しているが究明には未だ至っていない。