「心理テストで人のこころがわかる?」
私は、カウンセラーを生業としていますから、カウンセリングとか臨床心理学といったものは、マジメに勉強しました。サンフランシスコの大学院とインターン時代は、おそらく、私の人生の中で最も勉強した時期だと思います。「幸せになりたいけど、がんばりたくない」がポリシーの私でも、やるときゃやるのです!また、カウンセリングや臨床心理学の勉強は、新しい発見の連続で、わくわくし楽しいものでもありました。しかし、どうしても、気合のはいらない分野がありました。それは、心理テストや心理研究法の分野です。私の好きな自己心理学や人間性心理学や臨床心理学の勉強の時は集中できるのですが、心理テストや心理研究法の勉強の時には、とたんに「ふぬけオーラ」があたりにただよってしまいます。お断りしておきますが、一応マジメに勉強はしたんですよ。ただ、ちょっと気合が入らなかっただけです。
気合が入らなかった理由がありまして、私は、一応腐っても元エンジニアですから、心理テストや心理研究法などで勉強する基本的な統計学は目新しいものではなかったということと(ちょっとえらそーですね)、カリフォルニアのカウンセリングセンターでは、ほとんど心理テストを使わないということがあります。特に、後者の理由が、私にとっては、気合の入らなかった大きな理由です。カウンセリングセンターには医師がいる事が多いのですが、彼らも心理テストをあまり診療の場では使いません。もちろん、カウンセラーも心理テストをめったに使いません。理由は簡単です。クライアントの状態の診断は、最初のセッションにおける1時間から1時間半の心理テストなしのインタビューのみの面接で、たいていの場合判断できるからです(初回面接は、多くの場合、カウンセラーやソーシャルワーカーが行います)。そのかわり初回面接においては、かなりの分量の情報をクライアントさんから引き出さなければなりません(ひきだすべき情報は、カリフォルニア州で使用している「フェイスシート」に従っていました)。そして、ほとんどの情報は、紋切り型の質問ではなく、普通の会話の中からひろっていきます。こうしたやり方には、多くのメリットがあります。カウンセラーもクライアントさんも自由に話せるので、普段のクライアントさんの様子が把握できますし、考え方や行動の癖もある程度までわかります。また、クライアントさんを見ながら、セッションの中での質問をより正確な診断の方向に持っていったり、より重要なテーマへ焦点をシフトしていく事もできます。さらに、1回の面接で、クライアントさんのめざすゴールもほぼほぼ把握できます。また、自分の言いたい事を言えるので、クライアントさんも満足されてセッションを終えます。
一方、例えば、教科書にかならず出てくるロールシャッハテストをする場合などは、クライアントさんとは対面しますが、テストに集中しますので、環境面での情報(クライアントさんの親子関係や、学校や職場での様子他)はわかりません。従って、心理的傾向は特定できても、環境を含めたクライアントさんの全体像が把握できないのです。そして、ロールシャッハテストの場合、テスト時間は、およそ1時間かかるので、クライアントさんにとっても、たいへんな労力になります。さらにそのデータを処理するためには、4~5時間程度もかかってしまう事があります。合計5~6時間ですから、その間に4回の面接セッションと記録の時間を合わせてもおつりがきます。4回もセッションができれば、心理テストをしなくてもクライアントさんに対する理解が深まっていますし、単一的な要因による精神的な不調であれば、その心理的テーマをクライアントさんはすでに克服し、乗り越え、カウンセリングは終結してしまっているかもしれません。
では、例えば、それだけの手間をかけたロールシャッハが、前述したインタビュー方式によるものより、はるかに正確な診断ができるかというと、そんな事はありません。インタビュー方式で十分に正確な診断もできますし、むしろ、ロールシャッハのような投影法と呼ばれるテストでは、カウンセラーによる解釈の差が出やすいという意見もあります。すなわちロールシャッハテストをした方が間違いが多いこともあり得ます。
心理テストの結果は、研究分野では定量的な比較もできますし、有効だとは思いますが、臨床上、ロールシャッハのような時間がかかる心理テストは、少なくとも私にとって、クライアントさんを知るうえでほとんどメリットがありません。
何年か前に、解離性同一性障害(旧多重人格)のクライアントさんに心理テストを行い、その結果を長期間にわたり観察した日本の心理学の一流誌とよばれる専門誌に載った論文を読んだことがありますが、私は、「いったい、なにをやっているのか!」と、憤慨してしまいました。私自身、解離性同一性障害のクライアントさんを何人か経験した事がありますが、その心理過程は、とても心理テストごときで理解できるものではありません。彼らは、たいてい、幼少の頃から非常に複雑な人生経験を経ており、その経験による影響により、ひとつひとつ新たな人格を作っていきます。彼らをサポートするためには、それこそ全身全霊を傾けなければなりません。自殺の可能性、突然の失踪、平穏な状態からの突然の暴力性の発露など、さまざまな予測不能なことが、それこそ短期間に起こり得ます。心理テストなんて悠長なことをやっている暇がない・・、これが、私の実感です。だいたい心理テストをしたって、どの人格がテストを受けているのかわからないじゃないですか!それよりも、それぞれの人格がどんな事を考え、感じているのかをインタビューする方が、どれほどクライアントさんにとって利益になるかという事を、カウンセラーは、考えるべきです。私は、かつて、どうしても必要があって、解離性同一性障害のクライアントさんの20人以上の人格全て(元々は40人近い人格があったのですが、その時は20数人の人格まで減っていました)と1度のセッションでインタビューしたことがあるのですが、その時、インタビューに3時間を要しました。とても、私には、心理テストをやる暇なんてありませんでしたし、やる気もありませんでした。
日本に帰ってきてから、私は、臨床現場での心理テスト偏重に驚いています。それは、おそらく心理テストが病院で保健の点数としてカウントしやすく、学術的にもっともらしく見えるからでありましょう。そして、カウンセラーの資質として、「統計学を十分に理解し心理テストのような客観的判断をできることが、カウンセラーになるための最も重要な条件である」という大学のエライ先生もいらっしゃいます。私には、その先生が本当にクライアントさんを受け持ったことがあるのか?そのクライアントさんの回復までサポートしたことがあるのか?疑問に思ってしまいます。
私は、カウンセラーが学究的な研究者である事は必要条件ではなく、そのかわりヒューマニスティックで、例えば、「オリンピックで使用される砲丸投げの玉を作っていて、その事に絶対の自信と誇りをもっている蒲田の小さな町工場のおっさん」みたいな職人であるべきで、クライアントさんの回復をあるいは、テーマ克服を、心からサポートする存在であるべきだと思っています。
私は、心理テストは、「無意味だ!」、「使うな!」と言っているわけではありません。例えば、心理テストが、クライアントさんをより理解する「きっかけ」になることもありますし、使い方によっては有効である事もあると思います。私は、臨床上で心理テストをするのなら、宿題としてできる範囲のものを主に採用し(アンケート方式のいわゆる質問紙法といわれるテストが主になると思いますが)、その採用にあたっては、カウンセラーの「研究」のためではなく、クライアントさんの利益を第1に考えるべきだと考えます。そして、テスト結果を絶対視せず、そのテスト結果について、クライアントさんが「あてはまらない」、「なんかしっくりいかない」、「答えるのに時間がかかった」などの感想を述べることができる時間を作り、心理テストを、クライアントさんが自分自身を、あるいは、カウンセラーがクライアントさんをより深く理解するためのツールとして利用する工夫が必要だと思います。
以上、心理テストや研究法の勉強にいまいち気合の入らないカウンセラーの自我防衛機制的あるいは、自己弁護的言い訳でした。