『エリッククラプトン自伝』に学ぶ「弱い人間」の生き方 彼は他人に上手に甘えることができる

『エリッククラプトン自伝』に学ぶ「弱い人間」の生き方 評論家 山崎元 氏の文章
2010年02月12日
 前々から買ってあったのだが読まずに積んであった『エリッククラプトン自伝』(中江昌彦訳、イースト・プレス刊)を読んだ。400ページを超える本で、じっくり読むとそれなりに時間を食うのだが、ある仕事でエリック・クラプトンについて少し話す予定があり、今、読んで置こうと思った。
 事実を時間順にみっちり語り込むスタイルの自伝で、エピソードが豊富だから、読み終えるとかなりのボリューム感がある。
 伝記としては、かなり異色だ。端的に言って、これは「弱い人間」の物語だ。本が書かれた2007年に至る最後の10年は、家庭・仕事・健康の何れにも恵まれているようで、流れはハッピー・エンドなのだが、全体を通した印象では、この幸せのどこがいつ崩れてもおかしくないような危うさがクラプトン氏の人生にはある。
 「ひねくれ者でろくでなし」(p409)と自分でも言っているが、エリック・クラプトン氏は、一般的な基準から言って、人格的にはかなり「ひどい人」でもある。薬物やアルコールへの依存症に長年苦しんだことは有名だが、赤裸々に語られる女性関係もまさに「手当たり次第」だ。よくぞ、現在、健康で生きているものだ。
 詳しくは伝記を見て欲しいが、エリック・クラプトン氏は、自分の父親を知らずに、祖父母の下で育つ、かなり不幸な生い立ちなのだが、若い頃に関する記述の端々には、後の自堕落な生活や依存症、気むずかしさなどに対する「言い訳」のトーンを感じる。自分への甘さは超一級品だ。ただ、言い訳をストーリーの中で作っているというよりも、思い出すことが出来る限りの事実を時間順に羅列していく方法で書いているので、自然にこういうストーリーになってしまうのだろう。つまり、彼は彼自身に対する同情を隠さない。
 しかし、ぎりぎりで彼に嫌な感じがしないのは、彼が率直であるからだろう。気むずかしくてとても社交的とは言えないクラプトン氏だが、推察するに、彼は他人に上手に甘えることができるのだろう
 もちろん、彼個人がギターの名人として突出した実力と商品価値を持っていたことで、周囲が気を遣ったということはあるだろうが、伝記を読むと次から次へと助けが現れる。彼がどのように他人にアプローチしたのかは、自分の視点だけから書かれた伝記で正確に理解することは難しいが、自分に出来ないことはあっさり他人に任せているし、やりたいことを次々とやって行く。そして、彼が興味を持った女性はいとも簡単に彼になびいていく(時間が掛かったのは、ジョージ・ハリスン夫人だったパティくらいのものだ)。
 ギターに関しては、彼は努力の人だったように見える。練習を続けられる才能において天才、というタイプだ。ちなみに、若い頃の練習は、コピー対象を自分で何度も弾いてこれをテープに録音し、完全に同じになるまで何時間も繰り返すというようなもので、これがいくらでも続けられたようだ。また、若い頃の記述で「楽譜が読めなかった私」というフレーズが出てくる。ギターが声のように肉体化しているのだろう。
 薬物やアルコールに対する依存症が深刻化した場合でも、自分にとって得意で、他人からも評価され、自分が付けることができる「ギター」があったことが、彼を救ってきたし、もちろん、経済的に成功させてもきた。
 凡人が何かに注力して、その「何か」がエリック・クラプトンに於けるギター演奏のようなレベルや評価に達することは稀だろうが、一つのことを前向きに続けることが出来れば、それなりに自信を持つことが出来るのではないか。名人・神様のクラスではなくとも、ギターを上手く弾けることがエリック・クラプトンにっとっては一種の励ましになっていたように、自分を励ますことができる「得意なもの」があれば、落ち込んだときにも何とか生きる意欲を再活性化できるのではないか。
 思うに、殆どの人は「強い」「自立した」存在ではない。本人が自覚している場合も、自覚していない場合もあるが、人は、その人に固有の弱さを抱えて生きている。
 人は他人に上手に甘える術を覚える方が、自立しようとして頑張るよりも、上手く生きていくことが出来るのではないだろうか。そのためには、自分は弱いし、自立などしていないから、他人が必要なのだということを素直に認めるのが第一歩だろう。
 『エリック・クラプトン自伝』は、弱い人間、ダメな人間の人生の記録として一級品の読み物だ。そして、弱い人の生き方こそ、学ぶ価値があるのではないか
 内容はたいへん重たいので、調子のいいときに読むべき本かも知れないが、「強くない私」もいいではないかと思える人には、一読をお勧めする。
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自分への甘さは超一級品 の一語がすごい