忙中閑あり (忙中につかんだ閑こそ本当の閑である)

忙中閑あり (忙中につかんだ閑こそ本当の閑である)

実際そうだと思う
退職して無限に時間はあり
時間ができたらあれもこれもやってみたいといっていた人が
実際は何もせずに仕事をしていた頃のことを思い出してばかりいて
アルバイトを続けていたりしている

脳は一人の人間の中でもマルチタスクをこなしているようで
必死に仕事をしている間にも
別の回路が働いて人生について見つめている
そして仕事の合間に書き留める言葉が真実の言葉なのだろうと思う

中国の詩文はどちらかと言えば
ドロップアウト、アウトサイダーの詩文である
敗者復活の場面のようだ
これを敗者と言っては中島敦・山月記に申し訳ないが
一面から見ればそういうことになる

個人的には必死に仕事をしてその結果いいことを思いつくならばいくらでも仕事をしたい

そのくらいのマルチタスクをこなす能力が脳にはあるのだと思っていいのではないかと思う

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文学関係について言えば、
表現の力はあっても、何を主張したいのかがない人というものがいるといわれる
たとえば大江健三郎とか村上春樹は専業作家というもので
人生についての切実な体験がどれだけあり
真実訴えたいこと、書き残したいことは何であるかの点で弱いという評価もある
全般に恵まれた幸せな人生だったのだからそれでいいし
そんな人が何を書きたいのかを読んでみるのもいいことだと思うのだけれど
人によってはそれでは物足りないと思うもののようだ
何か書くことが目的になっていないかという反省である

本当に書きたいことをつかむためにも人生を生きることが必要だという
忙中閑ありに通じる