原美術館 ダーガー 少女たちの戦いの物語

原美術館にて、ヘンリー・ダーガーによる「少女たちの戦いの物語—夢の楽園」を見た。

お人形の顔をした少女が、下半身をむき出しにして、
しかもどういうわけなのか、小さな男性器を露出している。
そのようにして少女たちは戦うのだ。

色については美しい印象を残す。
何が描かれているか、
それは事物の連関について、やや関係のシステムが緩んでいるような系統の絵なのである。
それゆえに、豊かなファンタジーであるともいえるし、
しかし、これではあまりに病的だと苦言を呈する人もあるかもしれない。
すべての人に好感を与えることもできないだろう。

解説によれば、幼くして感情障害をわずらい、
施設で暮らし、現実生活の経験が少ない分、
代償的に物語世界を構築し、その産物が、
少女たちの戦いの物語という長い物語になったらしい。

私、東京コラージュとしては、当然、そのコラージュ的態度に関心があったわけで、
実際に雑誌などから切り抜いて製作したらしいコラージュ作品があり、
それは段ボール紙に切り貼りをして印象の、大変原始的なもので、
現代でいう作品とは異なるテイストを発しているものであるが、
コラージュという技法の、大きな生産性と、治癒力を確認したような次第である。

特にこの人のように、放置すれば、内部の想像が奔出して、とめどもなくなってしまう場合に、
外部の約束事、社会の側で要請している約束事を、
切抜きによるコラージュの形であれば、かなり取り込むことができるようなのである。

それにしても、何という作家なのだろう。
仕事場や身辺の写真がある。
もしダーガーの近くに生きていた人ならば、誰もが、
「さっさとごみは片付けて、まともな生活をしなさい」などと説教しそうである。

捨てなくてよかった。
「がらくた」を捨てることは、ダーガーの芸術を捨てることだった。

ダーガーの大家さんだった人の一室もあって、
その人によれば。
ほとんど毎日、ダーガーと話したものだ、
そして彼に頼まれて老人ホームも世話してあげた、
しかし程なく彼は死んだしまった。
なじんだ場所を離れることがよくなかったのかもしれない。
そのあとで遺品を整理してみると、作品が出てきた。
私はダーガーがどんな人間か知らなかったのだ。
おおよそそんな意味の回想が語られていた。

画家ニキフォルの場合も、そんな感じだった。

人生の意味というものは分からないものだ。

価値があるから後に見出されるというものでもないようだ。
すべては小さな偶然だという気がする。
そしてそれでいい。
死んでいった人には何も関係がないのだ。

展覧会は盛況。和服の人もいて、
レポートを書く必要があるのか、必至にメモを取る人もいて、
さらにテラスの席で、お茶やデザートを楽しむ人もいて、
緑の風に吹かれて、現代芸術の時間を呼吸した。

美術館には、常設展のようなおもしろい部屋がいくつかあった。
日常生活に固着して生きている自分がバカらしくなった。

だから、夜に、韓国ドラマ、オール・インをツタヤで借りた。