自我障害と時間遅延理論-1

自我障害という名前で

自生思考から強迫性体験、さらには離人症、させられ体験までを
並べてみる。
そして自己所属感と自我違和感とを検討してみる。
自生思考は
自己所属感は他者所属との境界線に位置するがすれすれのところで
他者の思考ではない
自我違和感もかすかにはあっても強くはない
つまり自己所属感についても自我違和感についても境界的な症状である
強迫性体験は
自己所属感は明確にある
明らかに自分がやっているのだと意識している
しかし自我違和感も明白にあって、
自分でもばかばかしくてやめたいと思うのだけれどやめられないと感じている
離人症は
自己所属感が薄れている。しかしやはり自己に所属している。
自我違和感は強い。この違和感の突出が離人症の特質である。
体験の現実感が薄れるという表現もできる。
体験の内容が自我体験であれば離人症と呼ぶ。
体験の内容が外界のことであれば「そのものの、そのものらしさの喪失」と言えばいいだろう。
させられ体験になると
もちろん自己所属感はない
他者にさせられているので主体は他者に移行している
自我違和感はもちろん強い
いやなことをさせられるのでどうしようもなく不快である
さて幻聴はその系列の中にうまく入ると思う。
「他人の声である」と意識している点で、自己所属感がない。
自我違和感も明白にあり、「お前はバカだ」「死ね」などの自我違和的な声を聞く。
一方、幻覚の中でも幻視はこの系列に入らない。
視覚対象は自己の外部のものに決まっていて自己所属感などないものだからである
従って幻覚の中でも幻聴だけが特殊な地位を占めており、
させられ体験のスペクトラムの中に位置づけられる。
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いわゆるクローの「陽性症状」として「幻覚・妄想状態」とひとくくりにされるものの中に、
症状の形成から考えると異質のものがひとくくりにされているので、それを分離してみたい。
上に述べた、「させられスペクトラム」として自生思考、強迫性体験、離人症、させられ体験、幻聴までを含める。
妄想については
被害妄想が主体であり、
被害妄想の根本には、主体性を奪われ、翻弄されるだけの対象物になってしまっている状況がある。
文法で言えば主語ではなくなって目的語になってしまっているのである。
目的語を主語にして記述する場合には、能動態ではなく受動態を使うことになる。
つまり被害妄想は、主体性を失い、能動性を奪われ、自己所属性も奪われ、自我違和的な体験を押しつけられているので、結果として被害的になるのであるが、構造の根本は「させられ」系であると言える。
血統妄想、誇大妄想、貧困妄想、心気妄想(ヒポコンドリー)、疾病妄想、罪業妄想などは
妄想の中でも違う成立のものであろう。
被毒妄想や嫉妬妄想は被害妄想と同じ系列として理解できる面がある。
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以上の「させられスペクトラム」の理解の仕方として、私が提案したいのは、時間遅延理論である。