笑いを与える人生

日本語で笑いというと、
ひとつには、
「人に笑われる」という言葉でもわかるように、
冷笑、嘲笑、見下されるという意味がある。
また一方では、
温かい笑い、ユーモア、を意味する場合がある。

正統派のヒーローとヒロインは愛と勇気を運ぶのであって、
笑いを運ぶのは、三枚目である。その多くは、嘲笑である。

魔法使いサリーが運んだものは、愛と勇気だと思う。三つ子が笑いを担当していた。
ユーモアとリラックスと、そして自分を笑う寛大さと、そうしたものがもっと育たないものかと思う。

アレルギーセンターのある宴会で。
家族も参加する宴会で、ある先生の、生まれたばかりの赤ちゃんがみんなに抱っこされていた。
人懐っこくてよく笑うので、大人気だ。
パパがめがねをかけているので、どうやらめがねをかけている人に抱っこされると喜ぶらしい。
その中で、ある先生が抱っこしたら、やはりめがねに反応したのか、よく笑ったのだ。
その先生はしぶく、「あれあれ、この子はまだ善悪の区別がついてないな」と言ったのだ。

解説すると、自分は悪で、その子のパパは善で、
悪に抱っこされて笑うとは、まだ善悪の区別ができていないということなのだ。
一種のユーモアだと思うのだが、出典があるのかどうかは、分からない。
どうしてだか、記憶に残っている。

学生時代には、
肺の写真を見て、ガン性腹膜炎、腹水がたまっていて、状態は悪い、
それを、「フクスイ盆に帰らず」と言った同級生がいて、そのこともよく覚えている。
その人は今は全国的に有名な医者だが、
そんな発言をして私を笑わせたことももう忘れているだろう。

いいことをしたときも、いいことをされた人は覚えていて、した人は忘れてしまうものだ。
悪いことをしたときも、悪いことをされた人は覚えていて、した人は忘れてしまうものだ。

ユーモア集などは多くあるので、すこしは身につけられるだろうか。