診断学

そうですねえ、昔は統合失調症かうつ病かなんていうことが

話題になったものです
表面的にはうつ病に見えるけれど
本当は統合失調症なんだよと専門家が言ったりします
あるいは鑑別として性格障害とか非定型精神病とか
また摂食障害とか、その背景にある精神病理とか
摂食障害なんかが分かりやすいんですが
摂食障害という病気があるのか
それともそれは症状の一つで
病気の根本は統合失調症とか躁うつ病とか言った方がいいものなのか
わたしは「前景症状」と「背景病理」という言葉で整理していました
私の説は
巨食などの食行動の異常は前景症状であって
診断作業とは
その背景病理を探り当てることである
というものでした
背景にあるものは統合失調症、躁うつ病、強迫性障害などになるわけです
外来で
うつ症状があるという人に対して
統合失調症の診断をどんな根拠でどんな程度に配慮するのか
これは容易ではなく
非常に深刻な問題です
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私は憂鬱だ、眠れない、最近食欲が落ちた、なんていう人に対して
うつ病という診断をつけるのは
いかにも素人でも出来そうな話です
DSMなどであてはめて、
2週間以内に5つ以上の症状があるから
大うつ病などというのは
いかにも本質を見破る専門家の目を無視しているわけです
しかしどうなんでしょうか
専門家という人達が100人いて
その100人の診断と治療が一致しないとしたら何を信じたらいいのかという話になるわけです
あの世の仕組みを話すようなもので
何も裏付けが無いようだというのでは困るわけです
天国なのか極楽なのか
エンマ様がいるのか誰がいるのか
確かな裏付けのあるレベルで話をしようじゃないかということになると
どうしてもいま、目の前にある、客観的な症状を並べてみる、その組み合わせを記述するということになります
病前性格はあてにならないし
病気の経過も実際に確認したわけでもなければあてにならないわけです
幼児体験などは極めて不安定で客観的に評価しにくいものです
子供の頃の絵日記とか学校の通信簿とかを見たりするわけですが
誰でもわかるように、客観的とは言えないものです
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しかし精神のむ分野で
客観的な評価が果たして本当にあるのか
とても疑問になるわけです
病気というものは
それを裏付ける病理標本があるはずのものです
「機能」を裏付ける「構造」があるという話は分かりやすいと思います
その肝心の構造の具体的な姿が欠如しているわけですから
話も始まらない
アルツハイマー病研究がなんとか進展しているのも
顕微鏡で確認できる病理変化があって
それが手がかりになっているところが大いにあります
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何があてになるのかといえば
そこから先がなかなか難しい
わたしは一言で
「測定の問題」とまとめています
身長、体重、機嫌、などと並べるといいと思うのですが
身長はだいたい決まっているもので測定するのも困難ではありません
客観的な測定によく馴染むものです
日によって違わないし、測定者によって違いもあまりないわけです
「柱の傷」は徐々に上に伸びて行くものです
そしてもう伸びなくなった頃には
誰も測ってくれないわけですね
身長が一定になれば大人で
もう人の親になってもいい頃なのです
体重は増減があります
一日で大きくは違わないとしても
季節によって違ったりはするわけです
直前に食事をしたとか
体重計に乗るときにどこまで衣服を脱ぐかとか
身長よりはばらつきが出ます
身が細る思いとは言いますが
どんなに心配をしても身長が縮むことはあまりなさそうです
機嫌が客観的に測定出来るかといえばちょっと難しい
その人の根本的な気質というものは
確かにあって
陽気な人、陰気な人、神経質な人など、いろいろとある
でも、その場その場でかなりの変動があるわけですし
接する人、評価する人、場面でかなり違うこともある
客観的な測定にはふさわしくないものです
その人の性格・気質・性質を「測定」することは
いろいろと工夫はされているわけですが
いまも難しい問題です
客観的な「性格」が存在するのかと問いかけることもできます
接する相手によって違う面が出るわけで
「性格」と思われているものも、半分は相手の性質だとも考えられます
それならばということで、
ある測定者がなるべく一定の態度と手順で
ある一定の室内環境で
他人の性質を判定したらどうかということにもなるわけです
それは測定者が変われば変わってしまうものですが
そんなものははじめから目指さないという考えだってあるわけです
身長のように客観的に測定できれば一番いいけれど
そうではないのだから
そうなる日を願うとしても
現状でできることは
ある一定の測定環境を維持する、その上でデータを比較する、ということでしょう
それならば
気の合う仲間で集まって
診断を共有しあうのも意味があるわけです
そのようにして形成された「診断」もあるわけです
それは身長のように客観的なものを測定しているのではないし、
診断者もそんな客観性を主張しているのではないのです
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お前の顔は四角だとか
お前の顔は丸だとか
診断されたとします
世の中には完全な丸も四角もないわけですから
そのような物の言い方は類型学、Typusといいます
現実の顔は
丸の性質をいくらかおびて、四角の性質をいくらかおびている、
そのように解釈するわけです
理想型と言ってもいいし、類型と言ってもいい、極型でもいい
ここで、果たして、統合失調症とうつ病は
顔で言えば四角と丸の関係なのか、
四角と赤いの関係なのか、疑問が生じます
四角くて赤い顔もある、四角くて青い顔もある、
丸くて赤い顔もある、丸くて青い顔もある、
四角ー丸の軸と
赤いー青いの軸を
二つの次元とすれば
顔はどのように分布しているのかと研究することができます
あるいは時代によって地域によって
分布がどのように変化するかを研究することができます
そういうものなのか
あるいはそうではなくて
四角と丸の関係なのか
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むかし、性格類型と体系を相関づけたものがありました
中学の教科書で見た記憶があります
痩せ型ーー統合失調症
肥満型ーー躁うつ病
闘士型ーーてんかん
というものですが
分かりやすいけれど
例外が多すぎるとも思えます
当たっている部分も多いのですが
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そのように同一平面上で排他的に診断カテゴリーを作るのは正しくないだろうと考えられるわけです