誇大性の起源はなんといっても親であり祖父母である
場合によってはテレビであり祖国である
最初は溺愛されていたはずだ
だんだん飽きられてくる
しかしその場合でも刷り込まれた誇大性だけは残る
困ったものだ
自分は音楽家になるなどといって親を困らせる
音楽をいいものだと教えたのは親なのでなんとも反対しようもない
情動教育などと言って
とんでもない情動を仕込んでしまう
教え子を最後の一人まで大切にしたいと言って
一番勉強の遅れている子に徹底的に合わせて
できる子がかわいそうでも
弱いものを見捨てるのかと先生が
ひとこと言えば何も言えなくなってしまう
それだって正義で親に復讐してるのだろう
弱いものを助けろというメッセージはいつでもどこでも有効なのだ
テレビの正義の味方もいつでも普遍的な正義を振りかざして誰も反対できなくしている
倒しているのは親または祖国のような気もする
こんな自分に誰がしたと泣いているような気がする
巨人の星という漫画で
星飛雄馬がそうだった
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父を乗り越えるというテーマは
実に誇大性の話で
家族で語り継がれ共有されるローカルな誇大性の物語である
エディプスの神話をフロイトが鮮やかに用語として提示したように
父を乗り越えることはすべての子どものテーマだった
家族に共有される誇大性が剥奪されると
野放しの誇大性が取り残される
褒められたいのに
褒められないことばかりしてしまう子どものようだ
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現代でますます共有されているのはお金の力だろう
すべてをお金に換算して評価する
分かりやすいが愚かなことで
しかし愚かだと言っている方がひもじい思いをするので
何も言えなくなる
野球でお金が稼げるようになればたいしたものでヒーローだけれど
あまりお金にならないものに熱中して上達しても国民栄誉賞はもらえない
しかし考えてみれば野球なども人間がルールを考えただけのもので
それに高度に適応してみてもどういうものだろうと思うし
どれかのテレビゲームですばらしい技術を身につけることだって
たぶん特殊なルールに対しての適応という点では似ているだろう
みんながお金を出すと認めるようになればヒーローで
お金が回らなければただのおかしな子だ
せめて親だけでも肯定したらと思うが
親はしばしばお金になる方を選べと言ってしまう
誇大性の起源が誇大性を裏切るのである
だから猛烈に反抗する
建前だったのか
言葉だけかよ
と叫ぶ
親としてはおまえも親になれば分かるだろうとか
その程度のことを語るしかない