スポーツマンガなどの普通の成長の仕方は、
最初弱い相手とやるときもすごく緊張したりする。
そのときはそのときで最強のライバルだったりもする。
それをぎりぎりで勝ち上がると、またすごいライバルが待っている。
ピッチャーで言えば、今までストレートだけでよかったものが、それでは間に合わなくなる。
一球目からいきなりフォークで始めたりして、
そんな勝負の仕方になる。
星飛雄馬の道になってしまう。
ウルトラマンなどでもそうであるが、
最初はあまり強くない。
それでも地道に相手を蹴ったり殴ったりしている間に弱ってくるので、
スベシウム光線でかたをつける。
番組が進むと、スベシウム光線は絶対の決定兵器ではなくなり、
まるで一球目から投げるフォークみたいに、
はじめからスベシウム光線で対処したりしている。
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人生を聞いているとまさにこのウルトラマンの戦い方が大切なのだ。
成長物語というものは、過去に自分の最大の能力であったものが、
単に第一回戦になるということだ。
例えば、「わたしの最大の戦いは30歳の時、あとは余生だ」などという人はいるはずがないのだ。
あくまでも、年をとるに従って、いよいよ困難な問題が待っているものなのだ。
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そう言う意味では、人生にウルトラマンも役に立つ。
昔なら最後にスベシウム光線でけりをつけていたものだが、
最近はいきなりスベシウム光線で、
料理屋でいう、お通しみたいな感じになっている。
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あの日、人生の苦難の100と思ったことが、
今は、同じ苦難が特にどうという苦しみでもない。
いま直面している苦しみは500くらいだと思う。
これをも成長呼んでよいのだろうか。
感受性が鈍磨することが、すなわち成長という残念な真理が、ここにもある。
実際、太宰治に晩年がなくてよかった
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バカでっかい音で音楽を聴いても
感動しないだろうな
当たり前じゃないか